泡沫の情人

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 互いに挨拶も交わすことなく、気付いた時にはそのまま眠りに沈んでしまっていた。 兵藤が目を覚ましたのは、強烈な尿意を覚えたせいだった。  体を起こすだけで頭に雷が落ちたような痛みを感じ、兵藤は堪らず顔を顰める。それから(かわや)に行こうと、(おもむろ)に立ち上がった。  ふとそこで、隣で寝ているはずの泉田の姿がないことに気づく。  空っぽの布団を前にして、厠だろうかと思い至るも、もしかしてという疑念が頭を過ぎる。  下世話な勘繰りを振り払おうとするも、どうしても兵藤の心臓は嫌な音を立てていた。  とりあえず廁へ行こうと、兵藤は廊下へと出る。足先に沁みるような冷たい廊下を歩き、一階へと下る。寒さから肩を抱くようにして、静まり返っている廊下を進んでいく。  廊下は月の白い光が照らしていて、充分に明るい。右手の庭に視線を向ければ、石灯籠の火は消えども、景色を見ることが可能だった。  戻り際に少し見ていこうと兵藤は決めて、その場を後にしようとする。  そこで客室の一つから、何やら声が聞こえて来ることに気がついた。  妙に苦しげな声に混じった男の囁き声。  しかもその声が、何処かで耳にしたことがある声だった。  兵藤は忍足で近づくと、そっと障子の隙間から覗き込む。中の光景を目撃するなり、すかさず兵藤は身を引いた。  一瞬だったが、泉田が佑月を組み敷いていたのだ。  見てはいけないものを見たという罪悪感。だがそれと同時に、佑月の裸体を見た衝撃に心臓が乱れていた。 「佑月。僕は君が好きでたまらない。何もかも捨てたって良いと思っているんだよ。頼むから、良いと言ってくれ」  必死に懇願する泉田の声は興奮しているのか、少し震えているようだった。  兵藤は驚いて、もう一度片目で隙間を覗き込む。
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