泡沫の情人

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 普段はどちらかというと、聞き役が多い友人の新たな一面に、兵藤は少し驚く。それと同時に、彼が本気でこの地を――思い人に対して強い思いを抱いているのだと分かる。  目的の宿は、観光地から少し離れた場所にあった。高級な宿に比べれば、少しこぢんまりとしているように見えるが、どっしりと構えている入り口を前にして、此処もそう安くはないように兵藤には思えていた。 「ここだよ」  緊張しているのか、やや硬い調子で泉田が告げる。  先を進む泉田の後に続いて、兵藤も足を動かす。  建物に入って早々、淡い水色に流水柄があしらわれた着物を着た女性が現れる。  年増ではあるものの、綺麗に結い上げられた黒髪や落ち着いた物腰。整った容姿を際立たせるような微笑みが、女将の美しさを物語っていた。 「ようこそ、おいでくださいました」  女将が膝を突いて、両手をちょこんと添えた。 「泉田様、いつもご贔屓にありがとうございます」  泉田が足繁く通っているのだと、女将の発言から兵藤は察する。 「お世話になります。こちらは僕の親友で、兵藤くんです」  紹介されたことで、兵藤は慌てて帽子を取って軽く頭を下げた。 「あらあら。随分と男前な方ですね」  女将が口元に手を当てる。 「ええ。そうなんですよ。なのにまだ、独り身でして。勿体ない限りですよ」 「それはそれは。私の娘がもう少し大きかったら、是非お話したかったんですけどね」  女将は品良く笑いながら立ち上がる。 「さぁ、こちらへどうぞ」  促され二人で框を上がると、女将の後に続く。  部屋に向かう途中にある渡り廊下には、庭が一望できる箇所があるようだった。
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