79人が本棚に入れています
本棚に追加
火に溶け込んでいく紙の束を見つめ、兵藤 章仁は着物の上に羽織っていた半纏を掻き合わせた。
吐く息は白く、薄暗くなりつつある都会の空に静かに吸い込まれていく。
「またやっているのか?」
焚き火から目を離し、兵藤は声のした背後を振り返る。
スーツの上に黒い外套を羽織り、中折れ帽を被っている。出版社帰りに、此処に立ち寄ったのだろう。そこには、呆れた顔をした親友の泉田の姿があった。
泉田が帽子を取ったことで、穏やかで優しげ表情が露わになる。
自分と年端は変わらないはずなのに、兵藤からすれば、彼の方が大人びて感じられていた。
「辞めればいいと分かっているのだが、どうしても辞められない」
兵藤は再び息を吐く。諦めの悪い性分であることが、今は悔やまれる。
「辞める必要なんてないさ。君の書く作品を心待ちにしている読者だって、いるのだからね」
「君には感謝してるよ。こんな名も無い物書きの作品を、無理言って掲載してくれているんだからな」
親友のよしみで、兵藤は雑誌の一部に短編を掲載していた。本業は尋常小学校で講師をしているが、空いた時間を小説を書くことに充てていた。
「そんな卑下する必要はないよ。僕も君の作品の一読者なんだ。君の才能を見込んで、僕からお願いしているようなものさ」
泉田はそう言うと、寒い寒いと言いながら焚き火に手を翳す。
「何だか複雑だな。焚書で暖を取るだなんて」
泉田が苦笑する。買いかぶりすぎだとばかりに、兵藤は肩を竦めた。
「そんな崇高な書じゃないさ。ただの落書きにしか過ぎない」
「随分とやさぐれているじゃないか。失恋でもしたのか?」
「いや……色事にはとんと縁がなくてな。どちらかと言うと、親が気が気じゃないらしい」
送られてくる手紙には、特定の人がいないならば、見合いの席を設けるという話ばかりが書かれていた。
返事を返すのが億劫で、兵藤はその手紙を読んだっきりしまい込んでいた。
最初のコメントを投稿しよう!