第32話 追憶に囚われて

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第32話 追憶に囚われて

気が付いたら、俺は中世ヨーロッパのような街中に、立っていた。 「!?」 ちゃんと、体があって、五感もある。服も着ていた。いつも着ている簡素な白いシャツとパンツ。魂だけで来たんじゃなかったのか?それに、周りの家や人、景色はちゃんと現実感があって、本物にしか見えない。 その心を読んだかのように、いつの間にか隣に立っていたアルファスメイラが言う。 「ここは本当に夢の世界。ロシュの記憶を再現しているだけ。貴方のその体もロシュに干渉できるように私が再現したもの。本物じゃない」 これが本物じゃないなんて、信じられないくらい、リアルだ。 「凄いな……それにしても、ロシュの記憶を再現した、って事は、この街はロシュの世界の街なのか」 辺りを見回したが、周りの人が俺達を気にしている様子は全くない。ひょっとして見えていないのか?記憶の再現と言っていたから、その時に存在しなかった俺達は、居ないものとして扱われているのかもしれない。 アルファスメイラは頷くと言った。 「これから、私は貴方をロシュの所へ連れて行く。ロシュに話しかけて貴方に意識を向かせて。ロシュに話しかけるか触れるまで、あなたの存在は認識されない。そしてここでいくら時間が過ぎても、元の世界には影響しない」 「分かった」 俺は少し緊張しながら頷いた。 幸せだった頃の夢を見ているというロシュを、本当に会ったばかりの俺が目覚めさせる事なんか出来るんだろうか。いや、もうとにかくやるしかない。 アルファスメイラに付いて歩き出すと、程なくして港のような場所に出た。ここは海に面した街のようだ。本当に潮の匂いまでして、うっかりすればここに何をしに来たか忘れて、この世界に埋没してしまいそうだな。 「ロシュはどこにいるんだ?」 と口を開いた時、俺の傍を元気な黒髪、黒目の男の子が走り抜けた。その子はそのまま桟橋の所まで駆けて、後ろを振り向いて叫ぶ。 「ロシューっ!ほら、早く来てみてよ!こっち、魚がいっぱいいるんだーっ!」 え!? と思った時、 「速いよ、エリアス!」そう叫びながら、俺の傍をプラチナブルーの髪、琥珀色の瞳の男の子が走り抜けていった。 唖然として駆け抜ける小さなロシュを見ていると、子供のロシュは、桟橋から身を乗り出して海面を覗き込む、黒髪の男の子の隣にしゃがみ込んだ。 二人とも10才くらいの年齢に見える。 「わー、ほんとだ!いっぱいいるねえ」 「美味しいんだって、これ」 たわいない子供同士の会話をしているロシュと、黒髪のエリアスのそばに、俺はゆっくり近付いて行った。 どうやって、意識を俺に向けさせればいいんだ?俺、お前の好きなユキトだよ、とか?でも今、目の前にいるロシュは子供だ。これでどうやって気を引けばいいんだ…… そんな事を考えながら、所在なく二人の子供の後ろをうろうろしている俺は、もし周りから姿が見えていたら完全な変質者だ。 その時、身を乗り出し過ぎたロシュが落ちそうになって「あっ!」と叫んだ。すぐそばにいた俺は咄嗟に手を伸ばして、ロシュの背中の服を掴んで、引き戻してやった。 「……おい、大丈夫か?」 これはチャンスだと俺はロシュに目線を合わせるようにしゃがんで、じっとロシュの目を見つめた。 「あ、だ、大丈夫です、すみません。助けていただいて」 ロシュは目を丸く見開いて俺を見つめたあと、お礼の言葉を口にした。だけど、それだけだ。何か俺に特別な反応をしたりだとか、そんな素振りはない。 どうしたらいいんだろう。どうすればロシュの意識を呼び戻せるんだ? 俺が黙ったままロシュの顔を見つめているから、ロシュもどうしたんだろう?って不思議そうな顔で、少し不安そうにしている。 「俺の名前はユキトだ。桜庭幸人」 「ユキト……?」 名前を言っても、ロシュは何も分からない、という顔だ。それでも、俺は全部伝える事にした。 「ロシュ。今は……分からないかもしれないけど、俺はお前の事知ってる。お前も俺の事知ってるんだ。俺とロシュ、お前はケレスの草原や、山の頂上で色んな話をした。今すぐ思い出せなくていい、俺はお前が目覚めるまでずっと語り掛けるから。何度でもな」 俺がロシュと話している間、隣にいるエリアスは全く何も気づいていないように、海を見ている。やっぱり俺の事は認識していないみたいだ。 ロシュは俺を不思議そうに見つめていた。 ……やっぱり、こんな言葉くらいじゃダメか。何かもっと、インパクトのある何かがないと、ロシュの奴を揺さぶって目を覚まさせるような…… と、いつもロシュが別れ際に俺にしていた事を思い出す。 でも、そんなの効果あるか?いやもう、何でもやってみるべきだろ。 俺はロシュの小さな手を取ると、その甲にそっと口付けした。 「お前が俺にいつもやってた……覚えてるか?」 その瞬間、確かに反応があった。子供のロシュの目が俺を正面から捉えて、瞬いた。一瞬我に返ったような目だった。 そしてその瞬間、周りの景色が歪み始めて、手に取っていた筈のロシュの手も、ロシュの姿もみんな消えて行った。周りがすべて真っ白になって俺は狼狽えた。 「な……!?どうしたんだ、何が起こった!?」 いつの間にか後ろにいたアルファスメイラが落ち着いた声で言う。 「心配ない。うまく行ってる。ロシュの囚われた意識が子供時代から解放された。このまま今みたいに順調に解放していけば、貴方の事を好きだと自覚しているロシュまで辿り着く。そうしたら目も覚める」 「そ、そうか」 少しホッとしていると、あっという間に周りの景色が変わった。港はどこにもなくなり、今度はいきなり重厚な城が目の前に現れた。 灰色っぽい石造りの、ヨーロッパかどこかの城みたいだ。だけどこの城は生きている。地球の、過去の遺物である城とは違って、人がたくさん出入りし、息づいている。 「こっち」 巨大な城門を見上げているとアルファスメイラが歩き出して、慌ててその後ろに付いて行く。 誰に目を留められる事もなく城門をくぐり抜け、綺麗な花の咲き乱れる庭園を抜けて、小さな塔のような所に来た。その塔の入口の所に17~8才くらいだろうか?最初よりも大分成長したロシュと、面影はそのままの黒髪のエリアスの二人がいた。 二人とも、青い生地に肩と胸の所に金色の何かの紋章が入った、かっちりした服を着て、腰に剣を下げている。 そう言えば、友達と自分の生まれた国を出奔したと言っていたな。さっきの港でも一緒だったし、これがその友達のエリアスなのかもしれない。 どう声を掛けるか考えながら傍に行くと、二人は喧嘩でもしているようだった。いや、怒っているのは黒髪のエリアスの方で、ロシュはそれをのらりくらりと躱している。 「これが初めてじゃないじゃないか!もう何度目だよ!?その悪癖直せよな!」 「僕が悪いんじゃないよ、向こうから誘って来たんだもの。いいじゃない、僕が誰より愛してるのはエリアスだけなんだからさ」 「だったらそれをちゃんと行動で表せよ!お前は言ってる事とやってる事が一致してないんだよ、だから信じられないんだ!」 ……友達じゃないな、どうやらロシュはエリアスと恋人関係にあったみたいだ。 俺が戸惑っている間に、痴話喧嘩をしていた二人はいつの間にか草の上に座り込んで、うっとりと甘い雰囲気に包まれていた。 え?何がどうなった?後半、ロシュがエリアスの耳元でぼそぼそ喋っていたから、どういう展開でこうなったのか分からなかった。 というか、俺はこれを目の前で見ていていいんだろうか。かと言って、今声を掛けるのはすごく邪魔な気がする。 ちらりと後ろにいるアルファスメイラを見ると、無表情だ。最初からずっと無表情だけどな。 ……全部俺に任せるって事か。 仕方ない、ずっとこれを見守っているわけにはいかない。 俺は手を伸ばして、エリアスに口付けしようとしているロシュの肩を引いた。 「……え?」 怪訝な顔でロシュが振り向き、俺を見た。その目はハッキリと『邪魔するな』と言っていた。 「悪い、邪魔したいわけじゃないんだけど。お前が今やってるこれは、夢なんだ。現実じゃないんだよ。お前は過去の夢を見てるだけなんだ」 そう告げると、ロシュは眉をひそめる。 「何言ってるんだ?それにお前……誰だ」 ロシュと会ってから、初めてこんな胡乱そうな目を向けられたかもしれない。僅かな苛立ちと不審。今まで、自分に甘い顔しか向けて来なかった相手にこんな表情で見られると、結構、胸が痛いな。 心を奮い立たせて俺は続けた。 「俺はユキト。桜庭幸人だよ。お前と出会ったのは最近だけど、思い出してくれよ。お前は今ケレスの山の頂上で意識を失ってる、早く戻らないと死んじまうんだ。目を覚ましてくれよ」 不審そうな表情のままのロシュ。 「何を言ってるんだ?僕はここにいるじゃないか。エリアスだって傍にいるし、訳の分からない事言わないでくれるかな?それともそうやって気を引いて僕に抱かれたいの?それなら、君、綺麗だし抱いてあげてもいいよ」 急にそんな事を言って、ロシュは妖艶な笑みを浮かべた。時間が止まったように動かないエリアス。 なんだ、このロシュ。 俺が知ってるロシュと全然違う。というほど俺もあいつを知ってるわけじゃないけど……さっきのエリアスの話からしても、ロシュが過去こんな風だったのは本当なのかもしれない。 だけど、今の、俺が知っているあいつは…… 「ねえ、どうしたの?ほら、早く楽しもうよ」 そう言って俺にキスしようとするロシュを、俺はぐいっと押し返した。 「違う!お前はこんな事するような奴じゃなかった。俺のスキルの事知った時も、俺に惹かれてるからするのは嬉しいみたいな事言ってたけど、無理やりしようとはしなかったし、俺の気持ちを思いやってくれたろ?お前の提案で、俺達は数日一緒に過ごす、って事になったんじゃないかよ。その間に自分の事好きにしてみせる、って言ったの、お前だろ?俺の知ってるお前は、こんな性急に体だけ求めてきたりしない!目を覚ませ!」 真剣に、ロシュの琥珀色の目を見つめて伝えた。ロシュは面食らった顔をしていたけど、話を聞く内に少し、どこか遠くを見るような目をした。何か思い出そうとしているようだ。 俺は手応えを感じて、言葉を続けた。 「お前が俺を思いやってくれた気持ち、俺は結構嬉しかったんだぞ。それにお前は俺にいつも優しくて……だからお前にはまだ言ってなかったけど、初対面の時よりはお前と……するの、抵抗感は薄れてたんだ。たぶんこのままお前と数日一緒にいたら、俺、お前の事、普通に受け入れられるようになってると思う」 ロシュはハッとしたように俺の顔を見た。 「ユ、ユキト……?」 その瞬間、目の前のロシュも塔もエリアスも、全部が消えて真っ白になった。
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