5話 無理ゲー

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5話 無理ゲー

「じゃあ、転移するから俺の近くに居な」 ヒューゴはそう言うと、俺の腕を引っ張って自分に引き寄せた。 びゅん、と空間がブレる感じがして、一瞬前まで神殿の小部屋に居たのが、おそらく凄まじく寒い、視界が真っ白になるほどの猛吹雪で荒れ狂う世界に居た。 「わっ!」 急激な変化に思わずたたらを踏むと、足元でぎゅっぎゅっと雪が音を立てた。 「別に耐えられなくは無いだろ?」 「確かに、そうですね…」 寒いのは多少感じるが、肌を刺すほどではない。よく見ると自分の体の周りにバリアみたいな物があって、それが周りの猛吹雪から俺を守ってくれていた。 スキル『常時魔力バリア展開』ってやつか。…凄いな。 今まで転移だとか探索だとかスキルを使っては来たものの、現実離れし過ぎていて、夢の続きみたいにいまいち実感がなかった。 だが猛吹雪というシチュエーションで寒さを殆ど感じない、という現状に、初めてスキルの凄さを実感したかもしれない。 最初の、空から落下して無事だった『絶対防御』は、そんな事感じる間もなかったしな。 「魔王はあの吹雪の向こうにいる。こっちから攻撃しなければ攻撃してこないんだ」 ヒューゴが指差す方に目を凝らすと、薄っすら何か黒っぽい塊が見えた。 もっとよく見ようとすると、スキル『遠見』が発動して、さらにはっきりと姿が見えた。 なん…だ?これは…? 深緑色や濃紺や、黒、色んな色が混じった体表の、一見蜘蛛みたいな形のものがいる。かなり大きい。家三軒分くらいはありそうだ。じっと動かないが、体の表面は膜のようになっていて、その膜のすぐ下では、絵の具を絶えず掻き回しているように何かがぐねぐねと蠢いていた。 よく見ると丸い体の下の蜘蛛の脚っぽいものも、脚というより触手のようで、そっちもぐねぐねと動いている。その様子を見ていると、ぞわっと肌の表面が粟立った。 俺は知らず知らずのうちに両手で自分を掻き抱き、粟立った肌を擦っていた。 ヒューゴはたった一人でよくこんなのと戦ったな。 そう思っていたら横でヒューゴが言った。 「気持ち悪いだろ」 「はい…怖気が止まりませんね」 「見た目がちょっと気持ち悪いだけで、大した事ないなって俺も最初思ったんだ。けど攻撃しても…」 言いながらヒューゴの右手が光を放ち、巨大な龍を模した劫火が、俺達の前方に出現する。そしてそれは一直線に魔王に激突すると、物凄い轟音と共に爆散した。 「うわあああ!!」 間近でいきなり雷が落ちたみたいな衝撃。 爆発の余波が襲い掛かって来て、『常時魔力バリア展開』で何の衝撃も受けないのに、俺は腕で顔を庇ってしまった。 な、なんだこれ、空気までビリビリしてるし、とんでもない…これなら魔王にも少しはダメージは通ったんじゃないか? そう思って、濛々と立つ煙の隙間から魔王を確認したが、体表の色が少し灰色になった位で、全く形は変わってなかった。 「嘘だろ…」 思わず素で呟いたら、ヒューゴが淡々と言った。 「ほらな。こんな感じで大したダメージが無いんだよな。そんで…」 ひゅっと煙の隙間から黒い何かが飛んで来た。俺が反応しきれずにぼうっとしていると、ヒューゴが俺を突き飛ばしてそれを避けさせてくれた。 「す、すみませ―――!!」 けど、俺の方に伸ばしたヒューゴの腕は、肘から下が無くなっていて、真っ黒になった切り口を俺に晒していた。 それを見た瞬間、全身の血が下がっていく感覚がして、世界が回った。 「転移するぞ!」 ヒューゴが叫んだが、俺は見てしまった。追い打ちをかけるように飛んで来た黒い光線が、ヒューゴの胸や腹を大きく抉り、へたり込んだ俺の体も次々貫いて穴を開けて行くのを。 ―――痛い…――― 目の前が暗くなって、意識が遠ざかっていく。 そして俺はいつの間にか、子供の頃住んでいた、古びた日本家屋に居た。 (―――これ、夢か―――) 目の前には10才位の俺と、『あの女』が居る。 『ゆき君はどうして言うこと聞けないのかな?』 『ご、ごめんなさいぃ、あやまるからゆるしてぇ』 涙でぐしゃぐしゃの顔でしゃくりあげる俺。 『ダメだよ。悪い子にはおしおきしなきゃね』 『や、やだあ!おしおきやだぁ、ごめんなさいいぃ!』 恐怖・悲しみ・後悔・絶望。 あの時の俺が感じてた感情が、この光景を見ている俺にも襲い掛かって来る。 (嫌だ嫌だ嫌だ…!!!もう、やめてくれ!俺を自由にしてくれ!!!) 「っはあ!!」 汗びっしょりで気が付くと、見慣れない、木で組まれた天井が見えた。 さらっとシーツに触れる感触。俺はどこかの部屋のベッドに寝かされていた。 胸糞悪い夢と、気を失う前の非現実的な光景が蘇って来て、ぞわりとする。はっとして体を改めたが、どこも怪我していなかった。心臓だけが忙しく鼓動を刻んでいる。 「はあ、はあ、はあ」 深呼吸をして何とか落ち着かせようとするが、体が勝手に小刻みにぶるぶる震えている。 …くっ、情けない。ナイフで刺された時は何も感じなかったのに、今になってこんな風になるなんて――― ガチャ、と音がしてドアが開き、ヒューゴが俺のベッドの脇に大股でやって来た。 俺が起きている事を知ると即座に謝って来る。 「ごめん!!」 「…ヒューゴさん?」 隠そうとしたが、体の震えは止まらない。その事に気付くと、ヒューゴはさらに青褪めて俺を抱き締めて来た。 「え?ちょっ」 ぎょっとして抵抗するが、ヒューゴはぎゅっと俺を抱き締めたまま目を閉じ、必死に言い募る。 「ごめんなユキト!お前、平和な世界で生きてたって言ってたのに、いきなりあんな所連れてって、怖い経験させちまって!悪かった!俺、何度も死んで生き返って、やっぱり何か麻痺しちまったんだと思う。そんな事にも気付かないで、ほんとごめん、ごめんな」 ヒューゴは、泣きそうな顔でひたすらごめん、と謝っている。 俺は長い間、駆け引きや嘘ばかりの世界で生きて来た。こんな風に泣きながら謝罪された事だって何度もある。 だけどそれを額面通り受け取った事などない。 演技が上手い奴はいくらでもいる。 自分自身がその筆頭だからな。 でもそんな捻くれた俺でも、ヒューゴがこれを本心から言ってるんだなって事くらいは分かった。 ぎゅうぎゅう締められて正直言って苦しかったが、俺はいつの間にか抵抗をやめて大人しくそれを受け入れていた。 「ヒューゴさん…」 こんな風に誰かに打算無しに抱き締められたのは、ほんのガキの頃以来、初めてかもしれない。認めたくないが、俺の体の震えは止まっていたし、強く拒絶する気にもならなかった。 「あの…もう大丈夫です。僕こそ、あの場では何も出来ずにすみませんでした。ヒューゴさんの腕、あんな事になってしまったし、その後も気を失って迷惑掛けてしまいましたし。あと、ちょっと、苦しいです…」 しばらくして、俺はそう言って、ヒューゴに離れて貰おうとした。締め付けがさすがに厳しい。ヒューゴは俺よりガタイが良いし、力も強い。 「あっ…そうか、ご、ごめん!」 ヒューゴは我に返ってぱっと離してくれた。 はあ、やっと呼吸が楽になった。 「ほんとに、僕は大丈夫です。それに、行くって言ったのは僕ですからね。それなのにあんな風に気を失ったりして、今もこんな風に…自分が情けなくて恥ずかしいです」 最後の言葉は本当に本心だった。ヒューゴが目の前に居るから何とか耐えているが、一人だったら毛布を被って身悶えしている。 死ぬわけでもないのに、ちょっと攻撃されて腹に穴が開いたくらいで、みっともなく狼狽えた。 あげく、か弱い女みたいに気を失ったり、震えが止まらなくてヒューゴに抱き締めて貰ったりとか――― ずっと張っていた虚勢が引っ剥がされて、みっともない自分を見られてしまった。 もう、恥ずかしくて恥ずかしくてたまらない。 ああ全く―――最悪な気分だ。 俺が内心激しい羞恥に悶えていると、ふいにヒューゴがベッドに腰を下ろして俺の頭を撫でて来た。 「ユキト、そんなに自分を責めんなよ」 「…え」 「戦いも経験した事ない、ずっと平和に暮らしてたやつが、いきなりあんな目に遭わされて、平然としてる方がおかしいぜ。俺だって、16で初めて戦場に出た時は全身がずっと震えっぱなしだったんだ。おまけに吐いた。戦闘が終わった後だって、全身がガチガチで銃(ブラスター)のスイッチから指が離れなかった。誰だって、最初はそんなもんだよ。そんなに恥じ入る必要なんてないぜ」 ヒューゴは優しい目で俺の事を見つめながら、頭をずっと撫でていた。 …こいつの目には嘘がない。 こんなに打算が無く純粋な人間に会ったのは、『あの人』とリョーマ以外で初めてだ… 何となく心が暖かくなった。 だけど、いつまでも子供のように撫でられているのはさすがに恥ずかしい。 「…あの、もういいですよ。落ち着きましたから…僕もいい大人ですし」 そう言うと、ヒューゴは手を離して笑った。 「ああ、やっぱりそうだよな。見た感じ18才くらいだと思ってたけど、18でも立派な大人だもんな!悪い、つい子供扱いしちまった」 「…いや、俺、22才だけど…」 余りにも若く見られ過ぎていた事に驚いて、思わず素に戻ってしまった。 すると、ヒューゴは俺よりもっと驚いた声を上げた。 「…えっ!?ユキト、俺より年上なのか!?」 「そう言うヒューゴはいくつなんだ?」 「…19才」 呆然と呟くヒューゴに、俺は可笑しくなった。 言われてみれば、確かに納得だ。あの高いテンションや子供っぽい好奇心は、十分10代らしい。 「はは…何だよ、俺、19の年下に頭撫でられて慰められたのか。ははっ、笑える」 「え、あの、いや!お、お前が、いや、ユキトが年下だろうが年上だろうが、さっき言った事は変わらないから!自分を恥じる必要なんてないからな!?」 狼狽えるヒューゴが急に大型犬みたいに見えて来て、和む。 「…大丈夫だよ。戦う事に関しては、ヒューゴの方が先輩なのは確かなんだし、さっきのアドバイス、俺はけっこう救われたんだ。ありがとな。センパイ。これからもよろしく頼むよ」 俺はシーツから手を出して、ヒューゴの手を握った。 「お、おう!」 ヒューゴは目を白黒させながらも、その手をぎゅっと握り返してくれた。
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