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9.0話 黒く塗り潰された過去
蓋をして考えないようにしていた、思い出さないようにしていた昔の事を、次から次へと、まるでパンドラの箱を開けてしまったように思い出す。
俺の本当の母親が死んでからの記憶は、だんだん色褪せて不明瞭になって行って、中学に入る頃には全ては灰色に変わっていた。
あの頃の俺には、全てのものは灰色に見えていた。クラスメイトも、先生も、家も、家族だなんて呼びたくもないあいつ等の事も。
「桜庭君、何かあったらいつでも先生に相談してね?」
中学生の俺を、担任だった若い女の先生は何かと気にしていた。けど今の俺は知っている。あの女が俺をどう見ていたかを。あの時の俺は、放課後呼び出されて「そういう事」をされるまでそれが何かを知らなかったけど。
その頃から俺は、周りの女たちに欲望に満ちた目を向けられる事が増えて来た。電車に乗っていると、触られる。振り返ってみると一見普通に見える女が、無言で尻に手を伸ばしている事が何度もあった。
途中で、自転車通学に切り替えた。
クラスメイトに告白される事も多くあった。だけど、俺は周りのやつらなんてみんな灰色にしか見えてなかった。
いいよな。お前らは。家に帰っても、親に大事にして貰えるんだろ。
俺みたいに、いい学校に入れ、成績が上がらなきゃ欲しいものは与えない、口答えせず言う事を聞かなきゃ飯はやらない、ただ気に入らないからと言ってベッドに手錠で繋がれて放置される事もないんだろ。
俺みたいに、どうでもいい物のように扱われ、嫌悪されて邪魔にされる辛さなんて、1ミリも分からないんだろ。
そんな、俺の苦しさや辛さも知らず、好き放題親に甘えて笑ってるあいつらなんかに、興味も好意も抱ける筈がなかった。
だからいつも告白されたって断っていた。
楽しい事なんか何もなく、ただ勉強ばかりしてやっと親の言う通りの『いい高校』に入ってからは、もっと世界は灰色になった。
…いや…
一度だけ。
世界が明るくなった事があった。
初めて、俺の事を見た目だけじゃなく、病んでる俺の中身までもちゃんと愛そうとしてくれたやつがいた。
そいつは、周りを拒絶する俺にもめげずに話しかけ、頑なな俺の心を徐々に溶かして行って…そしてある日、「好きだ」と言われた。
そいつは、男だった。
だけど、俺はそれでもいいと思ったんだ。
だから付き合って、キスまでしかした事はなかったけど、一緒にいると冷え切った心が少しの間だけだったけど暖かくて…だけど…俺の親とそいつの親にその事を知られてしまったあとは、地獄だった。
非難され、罵倒され、無理やり、別れさせられた。
傷付いたそいつも、最後には俺に「好きだなんて勘違いだった。もう二度と会いたくない」と言って去って行った。
一度幸せを手に入れかけてそれを失うのは、最初から何も手にしていないのより、ずっとずっと辛い。
だけど、そんな辛い思いを何とか封印して、18才になった頃…
俺の世界はとうとう、真っ暗に塗り潰された。
寝ている俺が何かに気付いて起きた時、目の前が真っ暗で何も見えなかった。目隠しをされていると気付いたと同時に、手足も縛られている事にも気付いた。
驚きでもがく俺に、一言も口を利かず、『そいつ』は俺のそこを執拗に触っていた。
寝起きで勝手に固くなっていたものを、何か温かいぬめりが包んで、俺は何が何かも分からず精を放ってしまった。
そしてそいつが消えた後、残り香で誰だったのかを悟り、もう、何もかもが嫌になった。
女の力で縛った布は何とかもがき続けたら取れ、俺は少ない持ち物と服をかき集めて家を飛び出した。
行く宛もなく、繁華街を歩いていたら、すぐに派手な女に声を掛けられた。
一銭も持っていなかった俺は、昏い気持ちでもうどうでもいいと思った。どうせ、汚れてしまったんだ。それならいくら汚れてももういい。むしろ、もっともっと汚れてしまえ。堕ちてしまえ。
どうせ生きている価値なんてない。
もう俺は、男も女も好きになんてならない。男も女も、誰も彼も、大嫌いだ。
俺をこの地獄から助け出せるやつなんて誰もいやしない…
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