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人間の三大欲求は食欲、性欲、睡眠欲だった。
人は食欲に関して、こだわりを持つ。
例えば、みかんの白い部分は全部取ってからでないと食べられない人がいたり、人のチャーハンの作り方に対して、聞かれてもないのに意見を述べずにはいられない評論家気取りの人間も存在する。
他にも、ある高級寿司店の名前を挙げて「ここのウニ以外偽物だよ」などと、ほざく方もいる、
また性欲に関しては、性癖というこだわりを持つ人も多い。
例えば、ぽっちゃりしてるのが好きな人であったり、国によっては臀部が大きければ大きいほど魅力的であるとする国もある。
しかしながら、睡眠欲に関して人々の間で話題になるのは、睡眠時間の短さのみであった。
欲であるのにも関わらず、睡眠が少ないほど話題に挙がる。
食欲に関して、「全然食べてないわー」と言ったり、性欲に関して、「経験少ないわー」などと少なさを自慢することは中々ない。
睡眠欲だけ、特殊な欲なのであった。
そして、西暦3000年の現在
人類は睡眠を行わなくても活動できる生物へと進化を遂げていた。
人間の三大欲求のうち、睡眠欲は忘れ去られ、二大欲求となっていた。
人類が眠らなくなったのは、もう500年も前の話なので、世間には睡眠を経験したことがない無睡眠ネイティブがあふれていた。
睡眠というものについては、社会の教科書で、人類の歴史について学ぶ時や、生物の授業で人間以外の生物について学習する時に、その単語を耳にするのみとなっていた。
そんな中、睡眠に興味を持った一人の男がいた。
その男の名前はタンである。
彼は代々続く財閥の家系に生まれた、俗に言う大金持ちである。
さらに長男ではなく、そこまで働く必要もないので、時間が余って仕方が無い毎日を過ごしていた。
そんな中、彼は睡眠に着目した。
きっかけは人類の歴史を辿るドキュメンタリーを見ていたときのことだった。
『人類は元々、人生の三分の一の時間を睡眠に費やしており...』
その文言に彼は惹きつけられた。
「人生の三分の一?そんなにも多くの時間を費やす価値があったのか?睡眠には」
気になった彼は、これから遊ぼうとしていたセンスダイバー(自身の意識と他生物の意識を繋げる玩具)を投げ捨て、睡眠について財閥が保有するデータベースで調べることにした。
『睡眠とは意識を喪失した状態』
「なるほど、そうすることで昔の人は体を休めていたのか」
『また睡眠にはレム睡眠とノンレム睡眠がある』
「レム、ノンレムって何だ?」
『レム睡眠は、瞼を閉じていても眼球が動いており、脳は日中と同程度活動している睡眠のこと。心理的な不安やストレスが多いと発生する。500年ほど前の人類は精神状態が安定しておらず、レム睡眠が高頻度で発生していた』
「脳だけ起きてるって面白いな。というか、そんなに昔の人はストレス抱えていたのか」
彼は、睡眠に関するデータを数珠繋ぎのように調べていった。
すると、彼の興味を一際惹く情報が見つかった。
『臨死体験経験者の多くがレム睡眠時の覚醒を経験していた』
『覚醒の例としては幻覚や幻聴、金縛りなどが挙げられる』
『臨死体験者はいずれも、体験の記憶が曖昧であり、はっきりとした体験の記憶が残っている者は、ほとんど存在しない』
「臨死体験か。面白そうだ。見てみたいな死後の世界を。でも、もう眠れないしな。不可能か」
半ば諦め、自室に戻りセンスダイバーで遊び始めた時、彼はあることを思い付いた。
「いや、そうでもないな。死は何も人間だけの専売特許ではなない。人間以外の生物を使えばいいんだ」
「このセンスダイバーを使えば、睡眠している生物の意識に入り込むことができるぞ」
改めて説明するとセンスダイバーとは、自身の意識と他生物の意識を繋げることができる玩具である。
倫理的な問題から、人間に対する使用は禁じられている。
「どんな生物に使えばいいんだ?猿はもう人猿戦争で絶滅してしまったしなぁ」
「死後の世界を調べようとなさるのは止めておいたほうがいいと思いますよ」
彼の後ろから唐突に、女性の声が聞こえた。
思わず振り返ると、そこには見知らぬメイドがいた。
「誰だ?」
「先日より、タン様付きのメイドとして配属されました、ヨミと申します」
「どうしてそんなところにいるんだ?というか、どうして俺が死後の世界について調べていることを知ってる?」
「タン様が何かお悩みのご様子だったため、失礼ながらセンスダイバーで意識を見させていただきました」
「おい!それ犯罪だぞ!」
するとヨミは、はっとした顔を見せ、また真顔に戻った。
「冗談でございますよ」
「本当か?」
「はい。嘘などついておりません」
「それならいいけどな。というか、ヨミはどうして死後の世界を調べない方がいいと思うんだ?」
「死は死んだ者だけに与えられる特権だと思うからです」
「うーん、まぁそれはそうかもしれないけどさ。知的好奇心に基づく探究っていうのも生きている者の特権だと思わないか?」
「それも正しいとは思います」
「それと、死後の世界について観測できたら、色んな奴らに自慢したいんだ」
「そうなのですね」
ヨミの目が一瞬険しくなった。
そして、ヨミはタンに質問を投げかけた。
「ホヤを知っていますか?」
「急だな、何だったっけそれ?貝の仲間だったような」
「よくご存知で。その通りホヤは貝の仲間です」
「そのホヤがどうしたんだよ」
「ホヤの脳は簡易版ヒトの脳です。細胞が瓜二つなのです」
「ホヤが?それは知らなかった。じゃあそれを使えば、死後の世界を見ることができるかもしれないってことか」
「その通りでございます」
「急に協力的になったな。まぁいいけど。ありがとう!」
タンは、早速ホヤを仕入れ、レム睡眠を行うようにストレスを与えた。
光を必要以上に当てたり、水槽内の塩分濃度を調整して、ホヤにとって望ましくない環境を作り上げた。
そして、ホヤにじわじわとストレスを感じさせた上で、睡眠をとらせた。
ホヤがレム睡眠を行うまで、何日間も粘った。
そして、一週間ほど経った日、
ホヤはレム睡眠に入った。
「よし!ついにこの時がやって来た。死後の世界を見に行くぞ」
「おめでとうございます。いってらっしゃいませ」
「あぁ。行ってくる、俺の次はヨミが死後の世界を見る番だからな」
「その必要はないかと思いますが、いってらっしゃいませ」
「そうか?それじゃ行ってくるよ」
タンは、センスダイバーを、ホヤを対象として起動した。
目の前が真っ暗になる。
そしてホヤの意識とタンの意識がリンクしていく。
やがてホヤの見ている景色が露わになっていくかと思われたが、
眼前は依然として暗闇のままであった。
視覚的な情報は何も変化しなかったが、
後ろから
『「死後の世界を調べようとなさるのは止めておいたほうがいいと思いますよ」って忠告したじゃないですか』
という声が聞こえて来た。
それは聞き覚えのあるメイドの声だった。
そう、ヨミが死後の世界に存在していたのである。
「人間の知的好奇心というものは恐ろしいですね。際限がない。まぁそのお陰で発展してきたのも事実ですが。あ、もう話せるようにしたので何か質問があればどうぞ」
「どうしてヨミがここに居るんだ!?」
タンは溜めていた思いを一挙に言葉へと昇華した。
「死神だからです。私は死の世界を司る神様なのです」
「死神?」
「はい。そうです」
「死は死んだ者だけの特権です。なので、生きている者が知ってはいけない世界なのです」
「でも、ヨミは俺にホヤのこと教えてくれたじゃないか」
「そうですね。あなたは危険なのでそうしました」
「危険?どういうことだ」
「お見受けしたところ、死の世界に対するあなたの好奇心はこれまでの人間とは比になりません。さらに死の世界を観測できたら、それを現世の人間に流布するとまで言うじゃないですか。現世で睡眠と死の世界について調べている人間がいることを知って、現世に飛んできましたが、まさかそこまでの熱意を持っているとは思いませんでした」
「いや、まぁそれほどでも」
「せっかく生物神に、人類を睡眠抜きで生命維持できるように進化させて欲しいと頼んで、人類がレム睡眠によって死の世界に触れることを防いだというのに」
「そんなことまでしてたのか」
「そうですよ。それなのに睡眠、ひいては死に興味を持つ人間が現れるなんて」
「繰り返しになるが、どうして、俺に死の世界が観測できるようにアドバイスをしたんだよ」
「こちらのテリトリーに引きずりこむためですよ」
「は?」
「いくら死神といえども、死の運命に無い人間の魂を狩ることはできません。しかし、それは現世での話です。ここでは関係ありません。ここは私の世界なのですから」
「まさか、口封じするために、俺をここに誘導したのか」
「そういうことです。まぁ自分から進んで来た人は初めてですけどね」
「自分から進んで来た人?ということは偶然来てしまった、レム睡眠による臨死体験者について記憶が曖昧なのは...お前が記憶を操作しているからか?あくまで偶然来てしまったから殺しはしないってことか」
「いいえ、私の記憶操作によって臨死体験者の記憶が曖昧なのではありません。臨死体験中に意識を保っており、体験終了後も記憶の保存が行われる人間は現世に帰していないだけです」
「殺したってことか」
「無意識といえども、体験後、現世にて死後の世界を流布されては困りますからね。あなたは意識的ですが」
ヨミは大きな鎌を取り出し、タンの心臓部分をえぐった。
彼の魂が、鎌の切先に捕らえられ、そこで絶命した。
「さぁ、タン起きてください」
「え?」
「死後の世界、気になっていたんですよね?」
「さっき居た、真っ暗闇の空間が死後の世界じゃないのか?」
「あれは、ほんの一部です。入り口みたいなものです。これからあなたが目にするのが死の世界の全貌です」
「おお!これは!」
タンの眼前には、現世の常識では構築不可能な世界が広がっていた。
そして、これまで知り得ることのなかった感情が一挙に流れ込んで来た。
現世に存在するこの文書にはその詳細について記載不可であること、ご了承ください。
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