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第9章. 認知症という名の恐怖
第九章. 認知症という名の恐怖
別の病院でも認知症と診断され、僕はまた東経大病院に通院した。
認知症薬を服用すると、吐き気に襲われた。食欲不振で体重が落ち処方を変えてもらっても吐き気は収まらなかった。
不安で眠れなくなった。睡眠薬は認知症を進行させると言って医師は処方してくれなかった。
気持ちが落ち込み鬱になった。まるでどす黒い大きな波に襲われて飲み込まれたようだった。
認知症という患者の役を演じているのだ! と宝プロダクションを退所(休会)した時、自分に誓ったはずだったが、その考えは甘かった。
認知症は怪我とは違う。時間がたてば治る病気ではない。
だから、心のケアが欲しい。これからどう生活していけばいいのか言ってほしい。
しかし、大病院にそれを求めるのは無理なのだと思い直した。
僕は、病院に紹介状を書いてもらい、精神科で診察してもらうことにした。
僕は精神科で、夜になると自分が崩壊する姿を想像して眠れなくなると訴えた。
不眠が続いて、意識が飛んで倒れたことを話した。
気分のむらが大きくなって、鬱がひどくなり「死にたいという気持ちです」と訴えた。
耳鳴りが煩くて叫びたくなることもあると訴えた。
病院の医師から睡眠薬は認知症を進行させると断られたと訴えた。
精神科の医師は僕のいうことに何度も頷いた。
「睡眠薬は認知症を進行させるのですか?」と僕は先生に聞いてみた。
「でも眠れなくて辛いのですね」
先生は否定的なことは言わなかった。
そして、先生は認知症薬、睡眠導入剤、向精神薬を処方してくれた。
大学の文化祭で演劇をやり、一度はサラリーマンになったが、恋人の美穂にお願いして、一年間役者をやらせてもらうことができた。
テレビの再現ドラマや、大手のCM、映画に出演して欲が出て、いつかタレントで飛躍したいと高望みしてしまった。
その階段を踏み外して、落っこちて、頭の中が崩れた豆腐のようになったのだ。
鬱症状でベッドから起き上がるのも面倒になった。
まるで、宇宙から帰還した宇宙飛行士のように、認知症という名の重力に耐えられず、自力で立っていられずに床に崩れ落ちて吸い寄せられるようだった。
これからどうなっていく? さらにどんな症状が出てくるのか?
僕は病気に向き合おうと思った。まだ、本を読んでも理解できるうちに、病気の正体を知りたかった。これから自分が、どうなってしまうのか。経過が分かるだけでも終活の準備ができるような気がした。そして、何より、僕が僕で無くなるとはどういうことなのか知りたかった。
アルツハイマー型認知症はアミロイドベータという異常タンパクが脳に蓄積し、神経細胞が委縮して発病し、一次記憶を司る脳の「海馬」と呼ばれる場所が委縮することで、新しいことが覚えられなくなる。大脳も委縮するため、記憶も徐々に失なわれ、日常も介護が必要になる。認知症患者の五〇パーセントがアルツハイマー型だという。
認知症は段階的に進行し、軽度認知症、中程度認知症、やや高度の認知症、高度の認知症になることが分かった。
「軽度認知症」
金銭感覚、年月日が不確かになり、プランを立てたりできなくなる。この時期には鬱症状が出現しやすくなり、妄想が契機で発見されることもあるという。攻撃的な言動が現れることもあるという。
「中程度認知症」
天候にあわせて服を選べない、近所以外で迷子になる、入浴着替えを嫌がる、買い物が一人でできない等の症状が現れる。
「やや高度の認知症」
着衣に介護が必要、洗髪や風呂が一人でできなくなる、近所でも迷子になる、同居していない家族がわからなくなる。
「高度の認知症」
身辺に関することは介護が必要、同居家族もわからなくなる、家の中のトイレがわからなくなる、意味のある会話ができなくなる、寝たきり状態になる。
美穂から電話があった。
僕は出なかった。
美穂はボイスメッセージを送ってきた。
「直樹。外で会おう。店で待っているからね」
美穂の声がかすれているのが分かった。美穂も辛いのだ。でも、美穂に会う勇気はなかった。
一度は美穂から離れようとしながら最後の撮影前に美穂にすがった。
最後の撮影を終えて、認知症に向き合うと、どんどん未来が消えることを実感した。
また、美穂を苦しめてはいけないと思うようになった。
美穂に介護させてどんどん僕が僕で無くなる姿を見せるのは僕もつらいが、美穂はもっと辛いに違いないと思った。
僕は忘備録を書くことにした。美穂と別れても美穂を忘れたくなかった。美穂が好きだと書き続けようと思った。
大切な思い出がまるで、かさぶたをピンセットで剥がすように無理やり剝がされていく。
だから、日々を記録した。いつまで書けるかわからない。でも美穂だけは忘れたくない。
病気が進行すると覚えている期間は短くなった。
動作を言葉にしようと思った。家のドアの鍵を掛けると、無意識にやると、記憶そのものが残っていない。今鍵を掛ける。キーは左ポケットに入れた。ズボンの上から手探りして、キーの感触を確かめて、キーは左ポケットと言ったりした。メモも必須になった。すべてが不確かになってメモで確認するしかなくなった。
僕は部屋にいる時間が長くなった。
それでも両親は僕に「元気出せ」とは言わなかった。
治る病気じゃないから「元気だせ」と言われたら傷に塩をぬっているのかと怒鳴ったかもしれない。
認知症イコール人生の終わり、と思ってしまう自分がいる。
美穂からまたボイスメッセージがあった。
「美穂は直樹が病気でも別れたくないよ。直樹が電話してくるのを待っているよ」と言った。
美穂との未来が消えて、介護されている姿が浮かんだ。
内向的な考えは大きな渦に巻き込まれた小舟のように抜け出せない。
治る病気ではないが、まだ自分だと自覚できる。
辛い長いトンネルを抜ければ開き直って生きていけないかと願った。
「剥がれる記憶」が上映されることになった。僕は、鬱、不眠、食欲低下、倦怠感、耳鳴りで外出できる状況でなかった。
本来なら映画のプロモーションに参加し、映画を宣伝しなければならない。役者は撮影終了で仕事が終わったわけではない。宣伝も重要な仕事なのだ。それでも僕にはできなかった。僕はその点でもプロデューサー、監督、出演者、芸能事務所に申し訳ないと思っていた。
僕は体調不良のため休養中ということにしてもらった。
美穂からラインが来た。
「直樹は外出できないだろうから、代わりに映画を見てきたよ。直樹の演技は素晴らしかったよ。有名な俳優の天野さんにも劣らないと思う。直樹は出演してよかった。胸を張れる映画だと思うよ」
美穂のラインに「ありがとう」とだけ返事をした。
数週間後、携帯が鳴った。
誰だろうと、スマホを見たが、登録された番号ではなかった。
僕は電話に出るのも辛かった。体がだるくベッドで横になっていた。
「おい、直樹、元気か」
山田君の声だった。僕が体調不良で休んでいることを知らないらしい。
病気の事を話せるわけもなく、電話に出た。
「おい、元気ないな。映画みたよ。良かったな。お前は運がいいやつだ。俺みたいに劇団で何年も下積みしているのにCM出ただけで映画の主要な役を得るんだからな。本当にお前は運がいい。それで、お願いなんだ。俺のツイッターに学生時代の二人の写真をアップしたいんだ。俺は直樹の親友だとな。そうすれば俺も注目されるかもしれないだろ。本当は黙ってあげようと思ったんだけどな、ばれてからだと、お前もいやだろ、だから一応連絡しておこうと思ってな。次の映画決まったのか」
山田君は一方的に話し続けた。
「わかったよ。ごめん、体調壊して休んでいるんだ」
僕にはそういうのが精一杯だった。
「体調不良か。大事にしなよ。それじゃな」
山田君は電話を切った。
山田君の声は未来に向かって高らかで輝いていた。俺も映画で活躍するぞというエネルギーがあった。
神様はなんて残酷なんだろう。美穂が「芸能の神様が下りてきたのね」と言ったことがあった。
まるで、ジェットコースターに乗ってテッペンに上ったと思ったら、その先のレールがなかったのだから。
僕は認知症の患者の役を演じているんだと何度も呟いた。お経を唱えるように。どれほど、痛み不安を和らげてくれるのかわからないが。
その後も、大学時代の友人から電話があった。彼らもまた、体調不良のため休養していることを知らなかった。
「山下だ。しばらく。直樹、映画観たぞ」
「覚えている、美穂の友達の直美だよ。私映画見たよ。友達にもPRしてあげるからね。直樹は親友だって」
「久しぶり。元気。演劇部で一緒だった金山。演劇部は一年だったけど、一緒だった。覚えてるだろ。映画観たぞ。お前後輩だと会社で言ってんだ」
「ゼミで一緒だった青山だ、覚えてるだろ。お前、大成すると思ったよ」
「山口だけど覚えてる。高校でいつも隣に座っていただろ。友達が芸能人だなんて俺ついてるよ。お前の事、高校で優秀だったって言ってあげるからな」
みんな僕と話したとツイッターでつぶやくよと明るく言った。
今まで、彼らが電話してきたことはなかった。どうして電話番号を知っているのだろうと思った。
一人の友人から山田君がツイッターで同期に呟いて拡散したのだと知った。
健康ならその声に癒され、豊かな気持ちになったかもしれない。しかし、思い出そうとすると頭が熱くなり、ぼーっとして、思い出すのを拒んでしまった。
「わかった。ありがとう」というのが精いっぱいだった。きっと売れ出して天狗になっていると思われたかもしれない。
僕は申し訳ないが電話に出ないことにした。
僕には余命がない。非難されてもそれを弁解するだけの健康な体も心ないのだ。僕は着信音を最小にした。
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