第2章.  演技レッスン 演技は間と金太郎飴

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第2章.  演技レッスン 演技は間と金太郎飴

第二章  演技レッスン 演技は間と金太郎飴 数日して田中社長からオーディション合格メールが届き、続けて、「〇月〇日、〇時から、〇スタジオでレッスンを開始します。スケジュール大丈夫ですか」スタジオの地図とレッスン予定表が添付されてきた。 僕は六ケ月間集中して演技、ボイス、モデルのレッスンを受けることになった。 終了するとさらに上級コースがあるらしい。  僕は入所のお礼と、スケジュール大丈夫です、よろしくお願いします、と返信した。  最初のレッスンは日曜日だったので会社を休まなくてもよかった。 僕は美穂にラインした。 「おめでとう。六時にいつもの喫茶店で待っているわ」と返信があった。  僕は美穂に夢を語った。 「この役をやってよかったと思える作品に出会えたら最高なんだけど」 「それって役者冥利というんでしょ。まだ何も始まっていない。ちょっとせっかちだよ」美穂が笑った。 「確かに、まずは演技を磨かないと、そしてオーディションに受からないと」 「頑張ってね」美穂の言葉で不安が少し和らいだ。 無職になることが不安になったからだ。 翌日、会社の上司に相談し、社長室に二人で行った。 「高橋君は大学で演劇部だったね。また挑戦したいわけか」 社長は応援しようとも言ってくれた。僕は後任が決まってから円満退職することになった。 田中社長のメールに書いてあったスタジオに到着すると、すでに大場マネージャとタレントの皆さんがいた。 僕は、先輩たちにお辞儀をした。しばらくすると、スタジオを管理する職員が来て、スタジオを開けてくれた。 僕たちは各自テーブルに座った。後ろを振り返ると大場マネージャが座っている。演技を見て社長に報告するのかもしれない。 「皆さん、おはよう」 五分ほどして、張りのある声でドアを開けたのは四〇代の先生だった。 さわやかで親しみやすい声音だ。 やや長めの栗色の髪に彫の深いワイルドな面持ち、映画で見た取調室の刑事のような人を見通すような目力。体格は中肉中背。ラフな格好だが、ビンテージ物らしいジーパンと、先のとがった革靴が印象的だ。 先生が生徒のなかに僕がいるのを見つけたので、僕は座ったままお辞儀をした。 「今日は初めての人がいるな。じゃ、私から自己紹介しよう。中野英二といいます」  「私は 声量があって、歯切れもいい。役者で鍛えた声なのだと思った。先生は、僕に自己紹介するよう促した。 「私は高橋直樹二三歳です。大学で演劇をしていたのが忘れられなくてまた挑戦しました」  先生は、僕のために、生徒たちも自己紹介するように言った。 四人の生徒が短い自己紹介をした。 「私はよしだ かおりです。二五歳です。趣味は音楽鑑賞です。ミュージカル出演が夢です」 「私はあめみや とおるです。四五歳です。昔役者をしていました。出戻りです」 「私はつぼい はじめです。年齢は二七歳です。僕も劇団に所属していましたが、退団して入所しました」 「私はかんだ ひでおです。六〇歳。今年退職したのでシニアタレントを目指しています」 自己紹介が終わると、中野先生は一枚のA四プリントを配った。 「これを次回までに覚えてきてくれ」  先生の口調がベランメイ調に変わり、親しみやすい雰囲気になった。 「今日は、初めての人がいるので、もう一度演技の基本から説明するぞ」 先生はそう言って、ホワイトボードにTVと舞台の違いと書いた。 「TV・CMは大写しが多いのが舞台と違う。だから、オーバーな表情はだめだ。 動作もTVの画面を意識して収まるようにしないとだめ。 舞台は遠くにいる観客からも表情・動作が見えるように、オーバーアクションになる。 しかし、TV・CMなら声は五メートル先まで届けばいい。舞台じゃないからね。  あと、滑舌が大事だ。「外郎売(ういろううり)」のテキストをもらっているだろう? 劇団員なら皆練習している。 「演技は……」 中野先生は一呼吸置いた。 他の人たちは自然とほほ笑んでいる。答えを知っているからだろう。 演技は……金太郎飴だ!」 どうだというようなジェスチャーに皆笑い出した。 「演技は金太郎飴ですか?」 僕は唖然として、意味不明な説明に感嘆の声を上げた。 「金太郎飴はどこを切っても同じ顔だろ。シーンとカットの違いは判るよね? 九〇分から百二〇分のドラマなら、百から百二〇のシーンがある。そして、シーンの中に様々なカットがある。カット毎に表情、声の調子が違っていたら、一つのシーンとして編集できないだろ? だから、金太郎飴の演技だ」  なるほどと思った。 「それから役になり切る!」 声音が大きくなり、だんだん熱がこもってきた。 「どうすれば、役になりきれるのですか?」  僕は疑問に思うと呟いてしまう癖がある。  演劇部で三年の経験がある。しかし、あくまでアマチュアだ。プロになろうとしているのだから、白紙で講義を受けるべきだと思った。講師の先生や、皆さんには申し訳ないが、僕には一年しかない。疑問はその場で解決したい。 「役を箇条書きにするのだ。どんな人生を歩んできたか? 恋人や家族構成は? 仕事は? こだわりはあるのか? 慎重か熱血タイプか? 苦手なものは何か……」 先生は、僕のほうに近づきながら、まるで機関銃のようにジェスチャーを交えて言葉を放った。 中野先生の鼻とぶつかるほどの距離になった。 言葉が頭に突き刺さったようにビンビン響いた。 聞き漏らさないようにメモを取ろうとするが、猛獣が突進してきたような威圧感と早口で追いつかない。 「えー、そこまで考えないといけない……?」 僕は再び感嘆の声を上げたが、言い終わる前に再び大声が頭を飲み込んだようだった。 「架空の人物になるんだよ。どうすれば、なりきれる? 人物像を膨らませないと無理でしょ!」 先生はドスの効いた声で僕に迫って来たので、僕はのけ反った。 大学の演劇でも劇団員と話しあったことがあった。 「それから、セリフの先読みはするなよ! 実際の会話を思い浮かべてみよう。 相手が何を言いだすかわからないだろ。だから相手の言葉を聞こうとする。頭の中で相手の言葉を反芻する。そして、はっきり言ったほうがいいとか、これは相手を傷つけるから優しく言おうとか、考えるだろ? それが間だ。演技は、考えるための間が必要なんだ」 先生は両指で自分のこめかみを指さして手を震わせた。まるで歌舞伎の見栄のように見えた。 「間だよ!」 まるで舞台を間近で観ているような迫力があった。 中野先生はトーンを落としてテーブルに腰掛けて言った。 「観客は役者の頭の中が見えて初めて共感して感動してくれるのだ。だから、こうしてやろうという演技はだめだ。感情の発露がセリフにならないとだめだ。 では、どうすれば嘘にならない? それは目だ。目には考えが出る」 睨みつけられて心を見透かされたような気持ちになった。 「それから、実践は難しいが、俯瞰の演技だ」  僕は俯瞰の演技という言葉に食いついた。中野先生は、どんな説明をするのかと凝視した。 「喧嘩のシーンを想像してみよう。本当の喧嘩なら、お互い罵り合って、理性を失って感情が爆発しているから相手の言葉が理解できないかもしれない。しかし、役者のセリフは観客に言葉を伝えなければ意味がない。だから青筋を立てるほど顔が紅潮して怒鳴っても、体が壊れるほど暴れても、台本通りに言葉を発しなければいけない。それが俯瞰した演技だ。役に没頭した自分と、それを外から観察する自分だ。「僕は自分の演技に点数をつけるんです」という俳優がいた。俯瞰した演技でなければ自分の演技に点数はつけられないだろ」 役に没頭し、それでも冷静な自分がいる、僕には想像の世界でしかないが、それを目指すべきなのだと思った。  すると中野先生は意外なことを言った。 「ただし、セリフを忘れろという監督もいる。だから、どちらの演技もできることが必要なんだ」 演劇部で勉強してきたはずだった。だが、初めて聞いたような感動は何だろう? それは中野先生の強烈なキャラクターだ。生の舞台、映画、TVで場数を踏んで、試行錯誤を重ねたから感じるオーラなのだと思った。 中野先生が僕に向かって言った。 「高橋君、あなたはメモを熱心にとっているね。とてもいい。聞きたいことがあったらここに電話して」 中野先生は名刺を僕に渡した。 「ただし、メモに頼りすぎるのは禁物だ。あなたは私の言葉を聞き漏らさないように必死だった。確かに言葉は書き留められるかもしれない。でも、人は言葉だけでは感動しない、声音や、音量、リズム、しぐさ、話の内容、そのほか言葉に表現できないものが相手に共感を与えたり、感動させたり説得させたりする。メモに夢中になってそれらが置き去りにされてはいけない。いいね」 僕は「はい」としか言えなかった。正論すぎて言葉をはさむ余地など全くない。しかもどんな言葉も中野先生の熱量の前では溶けてしまうと思った。 僕は美穂に連絡していつもの店で会った。 「どう、演技の練習どうだったの」  美穂は心配しているようにも見えた。仕事を辞めて、演技一本に絞りそれが不調であれば、僕が後悔しているのかもしれないと思っているのだろうかと思った。  僕はまず美穂に安心してほしかった。 「正解だったよ。今のプロダクションに入って。まるで心を探り合うような講義で興奮した。電車やバスは人間観察できる場所だと言われたよ。もちろん大学で演劇していた時も、講師に言われたことがあるけど、あまり実践していなかった。でも今日の中野先生が言うと説得力が全然違う。早速電車の中で実践したよ。目の前に若い男女が座っていたんだ。その時の会話や二人の口元や目の動き、ボデーランゲージを観察した。とても参考になった」 「よかったわ。仕事辞めて落ち込んだらと心配したのよ。でも、あまりじろじろ見ると、変人と思われるわ」 「そう、だから同じ人を長く見ないようにしたけどね」 「何か生き生きしている。でも、会話を盗み聞きするのは感心しないな。会話が聞き取れない距離で観察するべきだと思うわ」 「確かにそうだね。好奇心で観察するわけじゃない。人の表情、ボデーランゲージを学ぶのが目的だし」 「そうよ。自然な演技ができるように、会話を観察するのはいいと思うのよ。でもそれが目的になってほしくないな。確かにうまい絵を書くには、美術の勉強が必要だけど、絵筆や構図の技術だけで人を感動させることはできない。役者の演技も同じだと思うわ。学園祭でみんなが歓声を上げて拍手したのは、みんなが直樹たちを応援したいと思ったからだわ。セリフがうまいとか、演技が上手とかではなかったと思う。舞台に向けて一生懸命に頑張ってきたのが伝わったからだわ」 「まいったな。美穂の言葉は説得力がある。一年で演技を磨くのは天才でもないと無理だな。素人に近い僕が、評価されるにはどうしたらいいんだろう。努力しかないか。でも演技で努力しています感もまずいしな」 「難しい問題ね。でも早く、台詞のある役が決まるといいわね。その中にこたえがあるかもしれないわ」 「そうだね。まず、台詞のある役をもらわないとね。頑張るよ」 (注) 外郎売  京保三年(一七一八年)に二代目市川団十郎によって初演された歌舞伎十八番の一つ。俳優や声優、アナウンサーの研修等で、発声練習や滑舌の練習に使われている。インターネットには様々な外郎売が紹介されている。第五節まであり以下に第一節を示す。 拙者親方と申すは、お立会の中うちに、御存じのお方もござりましょうが、お江戸を発たって二十里上方、 相州小田原一色町をお過ぎなされて、青物町を登りへおいでなさるれば、欄干橋虎屋藤衛門、只今は剃髪致して、円斉と名のりまする。 元朝より、大晦日まで、お手に入れまする此の薬は、昔ちんの国の唐人、外郎という人、わが朝ちょうへ来たり、帝へ参内の折りから、この薬を深く籠こめ置き、もちゆる時は一粒ずつ、冠のすき間より取り出いだす。 よってその名を帝より、透頂香と賜わる。 即文字には「頂き、透く、香い」と書いて「透頂香」と申す。 只今はこの薬、殊の外ほか、世上に弘まり、方々に偽看板を出いだし、イヤ、小田原の、灰俵の、さん俵の、炭俵のと、いろいろに申せども、平仮名をもって「ういろう」と記せしは、親方円斉ばかり。 もしやお立会いの中うちに熱海か塔の沢へ、湯治にお出なさるるか、または伊勢御参宮の折からは、必ず門違かどちがいなされまするな。 お上ならば右の方、お下りなれば左側、八方が八つ棟、表が三つ棟玉堂造り。 破風には菊に桐のとうの御紋を御赦免あって、系図正しき薬でござる。
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