ご利益について

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ご利益について

 わたしは山を登っていた。現在の日にちは一月一日。新しい年がはじまってからわずか数時間である。まだ日が昇っていない山道を頂上目指して歩いていく。そこで初日の出を拝むのがわたしの目的だ。  この計画を立てたのは去年のなかごろだった。  そのころのわたしは相次ぐ不運なできごとに心身ともにうんざりしていた。身内で経営している会社が倒産の危機に瀕したり、両親が大きな病気に見舞われたり、妻が子どもを連れて家を出たりと。まことに散々であった。  いままでこんな不幸に見舞われた年はなく、また、その前兆もなかった。突然のできごとにわたしはおろおろするばかりだ。そんな生活のなか、ふと近所の寺をとおりがかったときに、そこの住職から声をかけられた。 「あんた、ずいぶんと悪い霊がついているね。ここのところよくないことがつづいているんじゃないかい」  予想もしない指摘にわたしの足は止まった。まさか他人に言いあてられるとは思ってもみない。 「なぜ、それがわかるのです」 「長年の経験だよ」  その小柄で年老いた住職がわたしを見上げる。わたしは身にかかる不幸にほとほとまいっていたので、すぐに助けを求めた。 「わたしはどうすればよいのです」 「身についた悪霊を払わなければならない。特別にわたしがうけたまわってやろう」 「本当ですか」  不幸中のさいわいともいえるできごとだ。わたしがよろこんでいると、住職が無言で手を差しだした。わたしは困惑した目で住職に問いかけた。住職はわざと大きな音で咳払いをする。 「ただでやってもらおうなどと、卑しいことを考えているのではあるまいな。それなりの謝礼をもらわないと、仏さまだってふり向いてくれないよ」  これにはおどろいた。卑しいのはどっちだ。仏に仕える身でありながら、欲に染まるとは情けない。要するにたちの悪い霊感商法ではないか。わたしは急ぎ足でその場を立ち去った。  しかし、自宅に帰ると、否が応でも自分の置かれた現状が目に入る。どう見ても景気はよくない。あの住職に金を払うつもりはないが、悪霊の類がとりついているのは本当なのではないかという気分になる。一度気になると、人間なかなか懸念を払拭できないものだ。  ただ、いますぐ動こうにも処理すべき課題が多すぎる。会社を延命させるための借金を頼まなくてはならない。病気の両親の世話もする。それらを手伝ってくれる家族はいない。そもそもの話だが、まともな神社仏閣にお祓いを頼もうにも手もとに金がない。  そんな状況もあり、わたしにとりついた悪霊を追いはらう手段は、はなから限られていた。そこでふと思いついたのが、初日の出を見にいこうというものだ。どうことが順調に進んでも今年いっぱいはしあわせになれそうにない。それならばいっそのこと今年は捨てて来年から幸運になる道を選ぼう。初日の出なら区切りもよいし、最適ではないかという判断だ。  思いたったわたしは最高の初日の出を迎えるため、ひそかに準備をはじめた。まず登る山を決める。登山家が登るような名峰ではしろうとのわたしが登れっこないし、かといってあまり簡単な山ではご利益がうすそうだ。わずかな時間を見つけては雑誌やインターネットでてきとうな山がないか調べた。その結果、比較的登りやすそうな山を発見した。昔から修行に使われていたそうで、神さまの力も十分だろう。  自宅からははなれているが、この不運と別れるための儀式と思えばなんの苦痛でもない。宿泊がてら、よい気分転換になるだろう。  つぎにわたしは山頂へのルートを調べた。みながいくような道をとおってはご利益が分散されてしまう。だれにもいかない道にこそ、思いがけぬ幸運が眠っているものではないだろうか。多少、登頂の難易度は上がるかもしれない。しかし、さいわいなことにわたしが選んだ山にはめったにひとが選ばないルートがあった。情報によると、景色が悪いのと、だらだらと遠回りになるので人気がないそうだ。なるほど、お気楽な大衆には気にいらない道かもしれない。だが、いまのわたしにはぴったりだ。苦労を背負ったぶんだけ、ご利益も大きくなるというものである。  現在の暗い状況から明るい山頂へ抜けだす自分を思いえがく。木々が生い茂る山中から太陽が照らす場所へ飛びだす。あたたかい光が体に染みついた不幸を洗い流してくれる。 「じつにすばらしい」  思わず声が漏れた。周りにはだれもいないのだが、恥ずかしくなる。わたしは気を取りなおして計画に思考を戻した。挑戦する山は決まった。道のりもふさわしいものにした。登山の道具は当日までに買いそろえておこう。できれば本番前に数回、予行演習をしておきたい。うまくやりくりすれば、それくらいの時間は取れるはずだ。  最後の懸念は天気ということになる。こればかりはどうしようもない。日ごろの行いに気をつけて、あとは神さまに祈るだけだ。わたしは、天気がだめだったら、運に見放されたと思うことにした。  こうして計画を立ててから、あっという間に半年がたった。身の回りのごたごたに忙殺され、世間でなにが流行っているか、国際情勢はどうなっているのか、世界の景気はよいのか悪いのか、知るよしもなかった。世間から切りはなされた小さな井戸のなかで、おぼれないようにもがいていた。だが、その閉ざされた空間ともお別れだ。わたしはいま山にいる。吐く息は白く、防寒着を着こんだ体は熱い。心配した天気は快晴の予報だ。神さまがわたしに味方してくれている。これほど頼りになることはない。  頂上までの道をライトが照らす。出発するときには真っ暗闇だった世界は、山頂に近づくにつれてだんだんと明るくなってきた。念願の初日の出まであとすこしだ。  去年の奮闘を思いだすと涙が出てくるようだ。わたしは精いっぱいの努力をした。だが、会社はつぶれ、両親は寝たきりになり、妻と子どもは変わらず帰ってこない。落ちぶれた日々をすごした。  しかし、それも終わりだ。今日からわたしは新たな人生を歩むのだ。道を踏む足、一歩一歩に気持ちを込める。暗闇から日の当たる場所へ自らの体を持ちあげる。わたしに覆いかぶさるように生えていた木々が一気に消えた。  ついに山頂である。  わたしははやる気持ちを抑えきれずに駆けだした。頂点へ着けばかがやかしい太陽がわたしを迎えてくれる。そのはずだった。 「なんだ、これは」  わたしの目に入ったのはあふれんばかりのひとの山だった。山頂の狭い空間を色とりどりの服装をした登山者が占拠している。みながみなやかましくしゃべっていて、神聖さのかけらもない。あっけに取られているわたしの前で、だれかが「初日の出だ」と叫んだ。わらわらとひとの塊がうごめく。わたしはといえば、ひとごみの後方で立ちすくんでいた。登ってくる太陽を大勢の人間が隠している。見えるのはひとの後頭部だけ。わたしは愕然とした。初日の出を目撃して盛りあがっているひとびととは別世界にいるようだ。  わたしの計画は失敗に終わった。こんな俗っぽい空間でご利益にあずかれるわけがない。全身から力が抜ける。わたしは近くにあった岩にしゃがみ込んだ。衝撃から立ち直れないまま時間がすぎていく。太陽は地平線をはなれ、空に浮きだした。初日の出を目的としたひとびとがひとり、またひとりと山を下りる。その波に流されるようにわたしも山頂をあとにした。なにも成しとげられなかったわたしは亡霊のようだった。どうやって下山したのか覚えていない。  これはあとから知ったことだが、去年若者のあいだで流行ったドラマであの山がロケ地に使われたらしい。混んでいたのはそのためだろう。だが、わたしがご利益を得られなかったことに変わりはない。妻から離婚の話を聞かされたのは、年明けからしばらくたったころだった。 〈了〉
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