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「看護師さんたちの間で流行っていた遊びがスキューバダイビングだった。仕事とはいえ、病に苦しむ人や助けられない人、長期の入院で心まで病んでしまった人の相手をしていると、煩わしい人付き合いから逃げて孤独になりたくなるものらしい。俺も彼女に誘われて始めて、すぐに夢中になった」
常に人と人の間で生きていると孤独を求めたくなる。それは知らず知らずのうちに周囲の人々から影響を受けてしまうからだろう。
人はみんな違っていて、それぞれが独自の思考を持って行動している。誰にも影響を与えずに生きることの方が難しい。
無知な子どもなら人との接触を断って自室に引き籠るかもしれない。だけど、定職に着くなり家庭を築くなりした、社会的役割を背負った大人は、そうもいかない。自分が逃げ出すことによる周囲の人々への影響を考えてしまうからだ。
だから、せめてもの息抜きに海へと潜る。
水の中に入ってしまえば地上とは違った生態系を目にすることができるし、一時的に人間関係から解き放たれたような気分に浸れるからだ。
「二人はスキューバダイビングってやったことある?」
「いや、ないです」
「ないですね」
「そうか。機会があったらお勧めするよ。良い気分転換になる」
趣味にはお金のかかる趣味とかからない趣味というのがある。そしてスキューバダイビングはお金のかかる趣味だと思う。
チャレンジしてみたい気持ちはあっても、先立つものや時間がなくては最初の一歩が踏み出せない。
世の中にはたくさんの『知らない』がある。それは日常を生きていくだけなら不要なものかもしれない。だけど、それを知ることで広がっていく世界もある。そしてそこには未知の愉しさがある。
しかし、良いことばかりとも限らない。
「いつもスキューバダイビングは複数の仲間たちと行っていたが、その日に限って俺には外せない仕事が入ってしまってね。彼女は他のスキューバ仲間と一緒に出かけていった。そして事故が起きた」
話を聞いていた三人の顔から笑みが消えていった。
思い出したくない過去を語る唐沢さんは苦悶の表情を浮かべていた。
「仕事を切り上げて急いで彼女の運ばれた病院に向かったよ。そして霊安室で彼女と再会した。
彼女は綺麗だった。救助された時に外傷が少なかったというのもあるが、まるで眠っているだけのようにも見えた。だけど、何度呼びかけても彼女は目を覚まさなかった」
元気だった人が突然の事故や事件で亡くなる。病院で働いていれば、そんなケースはいくらでも目にしているだろう。だけど、それが自分の身近な人に降りかかってみて、改めて、自分もみんなと同じであることに気づく。
人は時に滑稽だ。だけど、誰がそんな悲しみ嘆いている人を責められるというのか。
幸せを渇望していても不幸は突然やってくる。この世に絶対はないし不変はない。ただあるがままに、起こってしまったことを受け入れていくしかない。これは一つの真理だと思う。
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