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食事を終えた私たちは、痺れた足を庇いながらゆっくりと席を立つ。
「送るよ」
そう言った課長は、勝手知ったる…とばかりに、複雑に入り組んだ廊下をスタスタと玄関に向かって歩いて行く。
玄関で、課長は仲居さんに尋ねる。
「支払いは? 祖母がもう払ってるかな?」
「はい、頂戴しております」
その返事を聞いて、課長は小さくうなずいた。
「今日もおいしかったよ。ありがとう」
いつも上から目線の不遜な人だと思ってたけど、こんな風にちゃんとお礼を言えるんだ。
感心しながら、私も
「ごちそうさまでした」
と頭を下げる。
近くの駐車場に止められた課長の車は、意外にも高級車ではなく、一般的なミニバンだった。
課長は、ちゃんと助手席のドアを開けて、私を先に座らせてくれた。
今まで付き合って来た人は、「どうぞ」と声は掛けてくれても、ドアを開けてはくれなかった。
こんなに偉そうなのに、意外すぎる。
「どうした?」
シートベルトを締めながら、課長が尋ねる。
「意外だなと思って」
私がそれだけ言うと、課長は勘違いしたようで、
「ああ、車か? 輸入車は経済効率が悪いし、乗りにくいからな。それに、何より俺の給料じゃ、買えない」
と答えてくれる。
いや、意外なのは、そこじゃないんだけど……
なんか、今日一日で課長の見方変わったかも。
私をアパートまで送り届けてくれた課長は、最後にこう言った。
「じゃあ、君から祖母に断っておいてくれ。それでこの話は終わりだ」
「はい。今日はありがとうございました」
私は、お礼を言って車を降りる。
課長の車を見送ると、私は部屋に戻り、早速、振袖を脱いで、この苦しさから解放された。
その夜、祖母から電話があった。
「凛華ちゃん、どうだった? 素敵な人でしょ」
「……うん」
まぁ、私が会社で抱いてたイメージよりはだいぶ良くはなったけど……
でも、私、結婚する気ないのよね。
「じゃあ、お付き合いしてみなさいよ」
祖母はここぞとばかりに勧めてくる。
「藤城さんは、凛華さえ良ければ、お付き合いしてもいいっておっしゃってるらしいわよ」
えっ!?
そんなはずない。
私に断ってって言ってたもん。
そうか!
私が断るって分かってるから、結婚する気もないのにそんなことが言えるんだ。
じゃあ、もし、私がここで断らなかったら、あの課長はどうするんだろう?
よせばいいのに、変な興味といたずら心がむくむくと頭をもたげてくる。
「じゃあ、お付き合いだけなら……」
気づけば私はそう答えていた。
「まぁ! 凛華ちゃん! 早速、先方にもお伝えしなくては。じゃあ、またね」
喜んだ祖母は、そそくさと電話を切ってしまう。
ふふふっ
明日、課長、どんな顔をしてるだろう?
なんだか楽しみ。
私は、部屋の隅に吊るした振袖を眺めて、くすりと笑った。
─── Fin. ───
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