でも、それだけで。

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 快大はふと目を覚ました。  窓の外はまだ深く、早く寝直そうと再び目を閉じた時、背中から啜るような音が聞こえた。  快大はツインのベッドで毎晩、深優と眠っている。  昨日は深優の機嫌が相当悪そうだったから、大人しくしていようと快大は思っていた。  それなのについ怠惰をして深優を怒らせて、自分も流石に落ち込んだ。  だから眠る時には、深優の機嫌は最低だった。取り繕うことなく、ぶすっとした顔をしていた。  だから昨日はお互い無言でベッドに入った。そして、背中を向け合ってしまった。    深優が泣いている。しかも、こんな夜更けに一人で。  隣に自分が寝ているのに。深優は快大にも、泣き顔を見せるのを嫌っている。  快大は気づかれないように、静かに深優を振り返った。  どれだけ深優が不機嫌だろうが、しっかり話を聞き出せばよかった。快大は、深優の震える背中に強い後悔を覚えた。  だから、無言で背中から深優を抱きしめた。昔と違って、ムチムチとしていて柔らかい。けれど、抱え込みやすいところは変わっていない、愛しい深優の背中。  深優はびくり、と肩を跳ねさせて言った。 「何か用」  声は想像以上に泣いていた。  快大は胸が痛んだ。ずっと泣いていただろう時間を埋めたくて、強く抱きしめた。 「ごめん」  快大は不甲斐ない自分を殴りたくなった。 「別に。アンタは関係ないわ」  快大が抱きしめている強がりな背中の主に、相応しい声だった。 「そんなことないよ。深優は俺の妻だから。それに、俺は深優が好きだから」  快大が言うと、深優が喉を鳴らした。 「茉莉となにがあったの」  昨晩と同じ質問を快大は重ねた。今なら届きそうな気がして。 「私、頭ごなしに茉莉を怒っちゃったの」  深優がゆっくりと、口を開いてくれる。 「昨日、保育園で茉莉がお友達を叩いたの。それをお迎えの時に先生から聞いて、茉莉に叩いた理由も聞かず、怒ったの。そしたら茉莉が、泣くのを我慢した真っ赤な顔で、『ママきらい』って」  深優は隠さずに泣き出した。 「茉莉のそれはいつものじゃないか」  気休めだとわかりながらも、快大は口に出さずにはいられなかった。 「そうね。でも、我慢した顔のまま泣かなくて。手を繋ごうとしても拒否されて」  茉莉は深優のことが大好きだから、拒否するなんてありえない。大事件だ。 「で、保育園のバックを見たら、私が作ったうさぎのブローチがなかったの。あの茉莉が気に入っていた白いフェルトのやつね」  快大がふと、視線だけでベッドサイドを見れば、桜色のフェルトでできたうさぎのブローチが置いてあった。初めて見た気がする。 「だからあれどうしたのって聞いたら、茉莉、壊れたように泣き出して『こわれちゃった、ごめんなさい』って。よく聞いたら、お友達にブローチを壊されて、茉莉は叩いちゃったみたいで。  茉莉、しばらくずっと『ごめんなさい、ごめんなさい』って泣いてたのよ」  深優が号泣をするような声で言った。 「可哀想なことしちゃったわ。私はまず話を聞いてあげなくちゃいけなかったのに」  深優が泣けるように、快大は涙を堪えた。 「そういう時もあるさ。全部完璧にできるわけじゃない」  すれ違いに、快大は歯痒くなった。 「そうだけど。茉莉のこと傷つけちゃったわ。もう不安なこと話してくれなかったり、笑ってくれなくなったらどうしよう」  深優が落ち込んだ声で言う。 「大丈夫だよ。茉莉は深優のことが大好きなんだから。それに、新しいブローチを作ったんだろう。茉莉、絶対喜ぶよ」  快大はベッドサイドを指さした。 「そうだけど。白いフェルトがなくて、全く同じものにはならなかったし。あの子、白が好きなのに」  そうだっけ、と快大は茉莉の持ち物に頭を巡らせた。言われてみれば、白いものが多い気がする。でも。 「大丈夫。ハマっている美少女戦士ではピンクの子が好きみたいだし。それに、深優が作ったものなら、茉莉は喜ぶよ。しかもこんなに深優が茉莉を思ってるんだから、絶対大丈夫」  快大は朗らかに笑った。茉莉は快大の娘で、そして自分よ同じように深優が大好きだ。だから、深優がしてくれることはなんでも嬉しいのだ。 「確かにピンクの女の子が好きだったわね。私はダメね。ピンクのフェルトをなんで買ったのか忘れていたわ」  深優はようやく肩の強張りを解いた。反発のあった背中は緩んで、快大の体をふわりと受け入れてくれる。 「そんなことないよ。フェルトを買った理由だって、今思い出せたからいいだろう」  肩の力を抜いてやれたことに、快大は安心していた。 「それはアンタが気づいたんでしょう。私は忘れてた」  深優は責任感が強い。それは深優の良いところだ。でも。 「俺が気づいて、深優も思い出せればそれで良いだろう。俺だって、たまには役に立たせてくれよ」  快大がそう言えば、深優はまた喉を鳴らした。 「そうね。ごめんなさい。私のこういうところが……」 「それはストップ」  深優の口に慌てて手を当てて、快大は言葉を遮った。だって、その先に続く言葉は。 「深優は可愛いよ。責任感が強いところも素敵だ」  快大は心から深優を抱きしめた。  深優はずっと、「キツイし、可愛くない」と、言われたことを気にしているのだ。自分が十四年もずっと、「可愛い」と言い続けているのに、いつかの雑なやつらにずっと縛られているのだ。ムカつく。 「痛いわ。だから、そう言うのはアンタだけよ」  深優に言われて、快大は腕を少し緩めた。 「俺が思ってるんだから良いだろう」  深優は誰に思われたいんだよ、と快大は言われる度にヤキモキしてしまう。 「……何様よ」  深優が泣いた声で言った。 「旦那様」  快大がおどければ、 「ほんとバカ」  と、お馴染みの言葉が深優から返ってきた。 「世界で一番深優を愛している旦那様の俺が、深優を世界一可愛いと思ってるから良いんだよ」  たとえ安っぽい言葉だと言われても、快大の心からの本音だ。  世界で一番深優を想っているから、深優と結婚したんだから。 「でも、ごめんな、深優。俺が不甲斐ないから深優を泣かせてばかりで。怒らせてばかりだし。俺も、きっと茉莉も、つい調子に乗って甘えてしまうんだ」  深優を泣かせた原因の一端は自分にもあることを思い出して、快大は情けなくも付け足した。 「快大は茉莉以上に手がかかるわよ。……でも、二人とも可愛いわ」  快大に首を回した深優は、心をこぼすように笑っていた。涙の痕が濡れたまま月明かりに照らされていたから、快大はそのこぼれてしまった悲しみを指で(すく)った。  
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