一 「予約へ」1-3

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一 「予約へ」1-3

 二週間前、金子が智也のもとへ来たことを思い出した。 「智也、『男は母親似の女と結婚する。』なんて話を聞いたことがないか」 「急にどうしたんだ」 「あるだろ」 「まあ、聞いたことはあるがな」 「同じ生活をしてきた親子だから、価値観が似たって、別に不思議でも何でもないだろ。自分の価値観と合う女性が母親と似ているというのもうなずけるだろ。何か受け継がれていくものがある。そう言う意味で、次の結論が導き出されるわけだ。男は母親似の女と結婚すると」 「一理あるな」 「長年一緒に暮らしていると、たまたま似てくるのかもしれないが、似たもの夫婦って言うことさ」 「いまいち意味がわかりにくいがな。お前たちの夫婦仲がよくなったことと、それが何か関係でもあるのか」 「実はおおありなんだよ」 「公彦、俺とお前の立場は逆転したんだ。お前の不幸が俺の方に移ってきたんだよ」 「おいおい、俺のせいにするなよ」 「そういうつもりで言ったわけじゃなかったんだ。つい表現を間違えた。すまない」 「まあいいさ。続けろよ」 「千恵は本気さ。本気で俺と別れるつもりなんだ」 「まだ、つもりなんだろ」 「千恵はか弱そうに見えても、(しん)の強い女なんだ。一度決心をすれば、あいつの意思は梃子(てこ)でも動かない。そういう女なんだ」 「だからお前たちも、俺たちのように映画を観て来いよ」 「映画だって」 「ああ、映画だよ」 「お前たち夫婦の冷戦状態が、たった一本の映画で休戦。いや和平か。そんな単純なものでよく解決できたな」 「本当に不思議な映画だよ。あんな映画がよく作れたなと感心もしたし、感動もした。俺たち夫婦にとって、一生の宝物になった。妻の存在が尊いものになった。いや二人の存在がだな。お互いが尊いものになった」 「相当なお気に入りようだな。それじゃあ訊くが、それは一体どんな映画なんだ」 「簡単に言えば、リバイバルみたいな映画、とでも言えばいいのかな」 「みたいなって、曖昧(あいまい)な答えだな。その映画は、六十年代か、七十年代か、それとも、もっと古い作品か、いわゆるB級映画か、ちゃんと教えろよ」 「今、お前が言い並べた映画とはまったく違うよ。()いて言えば、歴史の河だな」 「歴史人物に興味はない」 「まあそう言うなって。騙されたと思って行ってみろよ」  金子が智也の背中を軽く叩いた。 「じゃあ、お前が観た映画の作品はどんなストーリーなんだ。作品のさわりだけでも教えてくれよ」 「だめだよ。それは誰にも言えないよ。人に話しちゃいけない物語なんだ。俺と妻だけのものなんだよ。大切なものなんだから」 「それじゃあ判断ができないじゃないか」 「俺が観た映画とお前が観る映画はまったく違う作品だから。それだけは間違いなく断言できる。嘘じゃない。神にも誓う。お母ちゃんにも約束する」 「お前のお母ちゃんは関係ないだろ」 「そうでもないんだなこれが。今は、まったく違う作品だから。としか言いようがない」 「違う作品。まったく違う作品ってどういう意味なんだ。違う作品でいい映画だと、どうしてそんなことが判断できるんだ。変だろ。おかしいだろ。その論理は」 「まあ、まあ、そうまくし立てるなよ。ほら、周りによくいるじゃないか」 「何が」 「だから、『私の人生って絶対小説になるわよ』とか『俺の人生はドラマになるぜ』とか言ってるのを、人からよく聞くだろ」 「それはよく聞くけど。それがどうしたんだ」 「とにかくそう言うことだ」 「なんだよそれ。お前、俺をからかっているんじゃないのか」 「お前が真剣に悩んでいる時に、そんな不謹慎なことはしないよ。とにかく俺を信じて一度観て来いよ。と言っても、一度しか観られないけどさ。あとで俺が紹介状と地図を書いて持って行くよ。それさえ持って行けば心配ないから」 「どうして映画を観るのに、紹介状がいるんだ」 「その映画館は誰でも観られるわけじゃないんだ。それに予約制なんだよ」 「予約制って、なんだそれ。まったく理解できない」 「俺もある人から紹介をしてもらって観に行ったんだ。観た人だけが、一組だけ紹介できるシステムなんだよ。中にはふらっと入館して、幸運にも観られる人もいるらしいけど」 「なんか変な新興宗教じゃないのか」 「違うよ。本当に映画だ。それは嘘じゃない。それに、まず館長さんの説明がある。そのあと予約をして、次の機会に上映だ」 「その館長っていう人は、本当に信用できる人物なのか。支払ったお金を持ち逃げされることだってあるだろ」 「俺が一度だってお前を騙したことあるか。ないだろ。まっ、信じる者は救われる。ということだ」 「千恵が何と言うか」 「一応、相手側にも伝えてあるから、あとで地図と予約時間を書いたメモを持って行くよ」  こんなふざけた話に乗ってもいいものかと、智也は内心後悔をしたが、もうあとには退けなかった。
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