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七 「二人の河」~幼き頃・智也編~4
智也の歴史が流れ続けた。
智也は映像を観て、修学旅行を思い出した。
大部屋の隅にはスポーツバッグが並んでいた。
小学校六年生に成長した山田が、喜び勇んで大部屋へ飛び込んできた。山田の顔は期待を膨らませたすけべな表情をしていたが、目だけは真剣そのものにぎらつかせていた。
「智也。今、君枝が入ったあ」
「本当かあ」
三つの坊主頭が智也の頭にくっつけた。幸運の出来事を見つけた四つ葉のクローバーの口元は、だらしない鼻の下と共に緩み、横に伸びていた。坂田君枝はクラスで一番胸の大きい女の子だ。
「誰が一番目だ」
智也が笑いを含んだ声で訊ねた。
「それはやっぱり智也しかいないやろう」
山田もにやけた。
「じゃあ俺について来い」
智也は廊下に出るなりスリッパを脱いだ。
目指すは一時間前に男子が使用した大浴場だ。
山田弘章、笹本順二、吉井健彦の仲間が、智也を先頭にして明るい廊下を忍び足で歩き進んでいる。
彼らの姿は異様な光景であり、バカなことをしたと、恥ずかしくて、情けなくて、うなだれてしまう光景でもあった。さらにそのバカさ加減がヒートアップした結末は、智也の記憶にまざまざと焼きついていた。
男子生徒の入浴時間では豪快に開けた戸を、二度目には息を殺し、音も殺し、期待の鼓動を鳴らして戸を開いて入って行く。
山田のつばを飲み込む音が智也たちに聞こえた。智也が体をねじって振り向けば、後ろの二人も最後尾の山田に向かって、「しっ」と人差し指を立てた。山田はごめんと声を飲み込み頭をかいた。
本棚のように整理された衣類籠には、色とりどりの服が入れられている。笹本はにやけた顔で衣類籠を指さし、お猿のシンバル人形の演奏を真似て空叩きをした。捕らぬ狸を喜びすぎた。浴槽を遮るガラス窓は湯気で真っ白く覆われて中が見えない。内側の水滴を外側からこっそりぬぐい取ることもできない。生まれた姿の女神をこっそりのぞくには、最後の扉を開くしか手段は残されていなかった。
智也が手を伸ばして隙間を開ければ、湯気が躍り出て、お風呂の中は何も見えない。縦に並んだ四人の瞳に影が差すと、がらっと一気に戸が開いた。
「きゃあああ」
「スケベ」
「誰え」
エコーを最大限にした音響が智也たちの頭上から殴りつけた。驚きが胸をどっくんと一叩きしたかと思えば、固まりの夕立が智也たちを容赦なく襲った。智也たちはずぶぬれのまま大慌てでその場を逃げ去った。みっともない哀れな姿である。
三十分後、四人が罰として廊下の端で正座をしていた。
子供の頃、こんなこともしたなと智也は恥ずかし紛れに笑う。
女性の体に興味がないと言えば嘘になるが、修学旅行においてのぞきとは、智也たちにとっては夏の肝試しや度胸試し的な感覚の方が強かった。先輩たちから修学旅行の土産話を聞いて笑い転げた。その伝説を俺たちも引き継いでいく、義務感のような、使命感のようなものがあった。
「男ってほんとバカねえ、どうしてこんなくだらないことをするのかしら」
「思春期にはこんなバカなこともついしてしまうんだよ」
「女の子の裸がすべての男の子にとって興味の対象だとしても、わざわざあなたの遺伝子にこんなものを遺さなくてもいいのに」
千恵が呆れて苦笑した。そんな風に責められると、智也は弁解の余地もなく無言でうつむいた。
確かにろくでもないことだ。それに、今の時代なら大問題になっているだろう。いや問題ではなく、警察沙汰の事件になる。と智也は反省をした。
次の瞬間、智也がはっとして顔を上げると、取り返しの付かない後悔と懺悔が智也を待ち受けていた。小学生の時にしたのぞきがこんな形で映し出されるということは、浮気がばれてしまうのではないか。という予測が成り立った。
一週間前に抜き取った血液はもう戻らない。
智也は十字架を背負わされたイエスだ。しかしイエスほど心境穏やかではいられない。イエスほど毅然として運命を受け入れられない。そわそわと青ざめる往生際の悪い自分がいた。
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