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八 「二人の河」~流れの景色~15
智也は深く長い息を吐き出した。
この年齢になって、映画から伝え合うことの大切さを教わるとは。
俺は今まで何をやっていたんだ。自分の心の中にある想いをもっと素直に伝えていたなら、些細なことでも相談していたなら、二人で人生を歩んでいたなら、心のすれ違いなどしなかっただろう。心のすべてを伝え合うことは難しいけれど、その努力を忘れていた。怠っていた。何かにつけて仕事が忙しいと理由をつけ、煩わしさから自分の思いは言わずとも伝わっていると、自分勝手に解釈をして千恵から逃げていたのかもしれない。タイミングのせいではない。
俺は一番大事なことから顔を背けていたんだ。
語らいを忘れ自己判断で物事を見過ぎていた。
行動だけで心のすべては伝えきれないものだ。
やはりちゃんと言葉で伝えないとだめなんだ。
自分が千恵から遠ざかっていたのではないか。
そうだ。そうなんだ。
智也は何度もうなずいて思いを巡らせた。
千恵が心変わりをしたんじゃなく、俺が心変わりをしたんだ。俺が心を閉ざしたんだ。千恵のためにがんばっているはずが、いつのまにか千恵の両親を見返すために、自分のプライドのために、俺は意地を張り続けていた。くだらないことのために、千恵を第三者の立場へと追いやってしまった。二人で生きているんだという一番大事なことを、俺は見失っていたんだ。
俺はどうしょうもないバカだ。
千恵は俺との絆を繋ぎ止めようと明るく振る舞っていたのに。千恵は気づいていたんだ。俺自身が気づく前から、俺の心の変化を読み取り、俺の心の離別を感じ取っていたんだ。それからつきあい始めた頃、一緒に観たビデオのシーンも気にかかる。自分の思いを抑え、相手の将来を思って身を引く物語だ。相手を思う性格が好きなだけで、自己犠牲を演じる女性が好きだったわけじゃないし、千恵に望んだわけでもない。しかし、間違った理想の女性像を千恵に植え付けてしまったのかもしれない。伝えられない思いは、心を虚しくさせ、悲しくさせ、辛くて苦しかったに違いない。一番傷つき我慢をしていたのは千恵の方なんだ。千恵の伝えようとしていたシグナルに気づきもせず、そんなことさえわかってやろうともせず、耳さえも傾けようともせず、伴侶を労ることもせず、俺は自分だけががんばっているとばかり思い込んでいた。身勝手で無責任な人間とは俺のことだ。どんなに解釈を並べて反省したところで許されることじゃない。それでも千恵に伝えたい。
千恵、本当に申し訳なかった。
第三者的に、客観的に二人を観た今だからこそ、冷静に判断することができた。千恵の想いを今なら理解もできるが、千恵の心をもう取り戻すことはできないだろう。仕方がない。だが、あのまま何も知らずに千恵と別れていたなら、いつかきっと、俺は人生のどこかで千恵を憎み、恨んでいたかもしれない。愚かな行為がさけられただけでもよかった。
本当にいい映画を観せてもらった。
金子の言った通り、誰のものでもない、俺たち夫婦だけの映画だ。
今し方まで後悔していた智也が晴れやかな気持ちになった。
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