パンを買いに

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パンを買いに

「抱っこ?」 久しぶりのお出掛けの準備をしながら、2歳数ヶ月の我が子が私の顔を見上げて、尋ねてくる。 「赤ちゃんがいるから、抱っこ出来ないよ。手を繋いで歩こうね。」 私が子供に靴を履かせてあげながら、心苦しくも、仕方なく抱っこの要求をまたまた断る。母親にとっては、我が子のこういう要求を拒むのは、胸が張り裂けるような思いである。 息子は、私がずっと抱っこしていないと、泣く赤ちゃんだった。寝たと思っても、下すといつもすぐに目が覚め、泣き出し、私がまた抱っこしてあげるまで、泣き止まないのだった。他の誰が抱いても癇癪を起こすので、ずっと私じゃなきゃダメだった。だから、1歳になるまで、寝ても起きても、ずっと抱きっぱなしだった。1歳になっても、1歳半になっても、2歳になっても、抱っこが大好きで、外に出ると、必ず抱っこを要求され、当たり前のこととして、従って来たのだった。お腹に赤ちゃんができているとわかっても、最初は、なるべく抱っこしてあげていた。 しかし、後期に入り、切迫気味と言われて、そのこれまで当たり前だったことを断らざるを得ない状況になってしまった。 理解できるかどうかわからないままに、事情を息子にきちんと説明した。 「ママは、今お腹に赤ちゃんがいるから、お腹に負担をかけてはいけないの。だから、立って抱っこすることが出来ないの。だから、手を繋いで、一緒に歩こうね。出来るよ。ほら、ママと手を繋いでいるから、大丈夫。」 度々こう告げられて、幼い息子は、自分なりに理解できたようで、前と変わらず、「抱っこ」を要求するものの、そのずっと当たり前だった抱っこを拒まれても、癇癪を起こさないようになって行った。そして、私が断ると、「赤ちゃんおる。」と自分から、私に、理由はわかっていることを伝えるようにもなった。 しかし、やっぱり、外で自分で歩くことに慣れていないため、最初は、車が横を通ったり、知らない人とすれ違ったり、足が疲れたりするたびに、泣き出しそうになりながら私にしがみつき、抱っこを要求して来るのだった。私は、この時は、「頑張って歩いてくれたね。」と労い、仕方なく抱っこしてあげていた。 ところが、近くのパン屋さんへ出掛けたある日、突然出来たのだった。玄関から玄関まで、私には一瞬も抱っこされずに、車が横を通っても、私と手を繋いだまま、自分の足で歩けたのだ。 近所のパン屋さんで好きなパンを選んで、息子は、そのパンを片手に大事そうに持ち、もう片手で私と手を繋ぎ、歩き出した。 調子良く歩いてくれていると思いきや、突然車がやって来た。 「ママ?」 幼い息子が不安そうに私を見る。 「大丈夫。こっち来ない。」 と手を強く握り、背中を撫でて、慰めながら、歩き続けた。 息子は、車が横を通りすぎる瞬間だけ立ち止まってから、また歩き始めた。そして、初めて我が家の玄関まで、ずっとその調子で、歩けたのだ。 一瞬でも抱っこしないと激しく泣き叫ぶのが、どうしても抜けない癖だった我が子の片手にパンを持ち、もう片手で私の手を握り、玄関まで歩き切れた姿を見て、申し訳ない気持ちと誇らしい気持ちが入り混じり、涙がちょちょぎれた。 息子は、こうして、兄弟が実際誕生する前に、少しずつお兄ちゃんになっていくのだろうと思いながら…。
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