第二章

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3 社長に抜擢された男  会談から1カ月。レイモンドの動きは早かった。  だが、ケイジ・ラダーの対応はそれ以上に素早やかった。さすがに、宇宙でも一、二を争う大企業の総帥である。  レイモンドが幹部を集めコスモ・サンダーの展望を語っている間に、ケイジ・ラダーは社内でラジン鉱脈発見とコスモ・メタル社創設、さらにはコスモ・メタル社の社長には外部の人間を抜擢すると宣言し、組織図を描いて見せたのだ。  コスモ・サンダー内部では総督の新事業に誰も口を挟むものなどいない。総督の命令であれば、幹部たちは文句を言わずに従うだけである。  企業であるメタル・ラダー社ではそうもいかないだろうに。  明日の朝、プレス発表をするとレイモンドに連絡があったのが日曜日の午後。そして、翌月曜日の午前中には、全宇宙がコスモ・メタル社の話題で持ちきりとなった。  超貴重なラジンの鉱脈発見と大企業メタル・ラダー社100%出資の開発会社設立の発表に、鉱物関連の企業だけではなく、さまざまな企業、連邦の行政機関、宇宙軍、果ては海賊や悪徳業者までが色めき立った。  とてつもなく大きな金が動く事業であった。少しでも利権を得たい、おこぼれにあずかりたいと思うものは少なくないのだ。  そんな中、注目を浴びたのが、社長に抜擢された男である。  阿刀野レイ。その名を知るものは、メタル・ラダー社にもほとんどいなかった。  社内の役員でもなく、企業家として何の実績もない男に今後のメタル・ラダー社を左右する事業の舵取りを任せるなどとは。社内での猛反対を押し切ったケイジ・ラダーも、発表と同時にわき起こったマスコミ、各企業からの相次ぐ問い合わせに、四苦八苦していた。  それもそのはず。  発表の折りに出された阿刀野レイのプロフィールは簡単なもので、クーリエとしての業績がわずかに添えられていただけであったから。  その日の夕刻にはコスモ・メタル社の幹部会が開かれるということで、新しく社長になった男の顔が少しでも拝めるのではないかと、全宇宙が注目したのは当然の結果であった。  宇宙軍第17管区、いわゆる極東地区の基地でも、一般人と変わらず、朝からその話で持ちきりであった。 「阿刀野隊長。ニュースを見られましたか?」  パトロールからもどってくるなり、エヴァに声をかけられた。 「何か大事件でも起こったのか?」 「はい。メタル・ラダー社がラジン鉱脈を発見したそうです」 「ほう、それはすごいな」  リュウは自分たちを慈しむように見ていたケイジ・ラダーの顔を思い出して、よかったなと思った。ところが、その話には続きがあった。 「それで、惑星開発のための子会社を作るそうなんですが、その社長に抜擢されたのが阿刀野レイだと発表があったんです…」 「なんだって!」 「同姓同名かもしれないですが、阿刀野は珍しい名字なので…」  リュウの後ろで話を聞いていたルーインは驚きもしない。 「ずいぶん前から、ミスター・ラダーが口説いていたからな。レイさん、決心したんだ」 「えっ!」 「口説いていたってどういうことだ」 「阿刀野さんは生きておられるんですか」  エヴァとリュウが、同時にルーインに詰め寄った。 「ああ、レイさんは生きている。レイさんに初めてケイジ・ダラーに会わせてもらったとき、その話がでた」  ルーインは2人に簡潔に応えてから、言葉を続けた。 「いろいろあったけど、こっちの世界に戻ってくるのかな」 「俺には関係ない!」 「阿刀野…」  訳の分からない会話に焦れたエヴァが叫ぶ。 「隊長! 阿刀野さんが生きていることを、ご存じだったんですか」 「あ、ああ。もう半年以上前か…、偶然、会った」  そして、手ひどく捨てられた。もう、俺はレイには必要のない人間だと思い知らされた。  それなら知らせてくれたらいいのにと文句を吐いてから、エヴァがひとりごちる。 「阿刀野さんが生きていて、コスモ・メタル社の社長になるのか。こりゃあ、経済ニュース見逃せないな」 「経済ニュース?」 「ええ。今夕、コスモ・メタル社の組織決めがあるとかで、もしかしたら、新社長の姿がわかるのではないかと、テレビクルーがメタル・ラダー社に押しかけています。ダンカンたちにも知らせないと」  失礼しますと駆けだしたエヴァの後ろ姿を、リュウとルーインは唖然として見送った。 「レイがニュースに出る?」  自分を捨てていった相手なのに、それでも顔をみたいと思う。声を聞きたいと思う。だが、それは、遺言のビデオと同じで、遠くなったことを知らされるだけだ。  定刻。  メタル・ラダー社本社で、コスモ・メタル社の第1回経営会議が始まった。  ケイジ・ラダーに請われて社長としての挨拶に立ったレイモンドは、若いにも関わらず、威厳があった。淡いグリーンのシャツに上質なモスグリーンのスーツを着たレイモンドは、不思議なことに企業人に見えた。  驚くほどの美貌で、冷静に事業の概要を語る口調には説得力があるが、ひとかけらの笑みすらみせない整いすぎた美貌は、冷酷そうで、企業のトップに立つ人間にふさわしく見えた。  ところが、一通り組織説明をし終わって幹部たちを見渡した後、レイモンドの顔がふっと綻んだ。その笑顔に、コスモ・メタル社に出向する人間も、メタル・ラダー社の幹部連中もはっと目を見張ったのだ。 「ふむ。彼が新会社を引っ張ってくれることはわかっていたが…、商談の席でこの笑顔を見せられたら、どんなやり手でも厳しい条件など突き付けられないだろう。営業面でも、わたしがフォローする必要はなさそうだ」  ケイジ・ラダーがうれしそうにつぶやいた。 「そうですね。うちの連中、メロメロになってやがる」  開発チームのチーフ、ジャック・ワイズが応える。  メタル・ラダー社では、阿刀野レイを囲んで、和やかな会話が続いていた。  一方、宇宙軍第17管区、極東地区基地では…。 「おいっ。ほんとうに阿刀野さんが社長なのか」 「黙ってろ。ほら、聞き逃したじゃないか」 「レポーターの話なんかどうでもいいから、早く新社長を映してほしいぜ」  メタル・ラダー社の前で陣取るテレビクルーたちは、いまだに待ちぼうけを食らわせられているのであった。 「出てきたぞ」 「おっ、ケイジ・ラダー氏じゃないか」  みなが息を詰めて見守る中、メタル・ラダー社の玄関前に現れたのは、総帥ケイジ・ラダーと幹部連中であった。 「コスモ・メタル社の新社長はどなたですか!」  あちこちのレポーターから同じような質問が飛ぶ。それを手で制したケイジ・ラダーは、代表して抗弁をする。 「今日のところはテレビに映ることは勘弁してほしいそうだ」 「そんな! 全宇宙が新社長のコメントを待っていたのに!」 「もったいぶらずに出せよ!」  というレポーターの声に思わず「そうだ、そうだ!」と叫んでしまったのは、リュウの部下たちだけではなかっただろう。 「なにぶん、シャイな男でね。だが、統率力、経営手腕は期待してもらっていい」  ケイジ・ラダーはそれだけ言うと、さっと社屋へと引っ込んでしまった。納得できないレポーターたちに運悪くつかまった幹部たちは、さんざん質問攻めにあった。 「まだ、若い。30歳前後で、美貌の持ち主だ」 「いや、会社の体制や組織は、なかなかしっかりしているよ」 「ああ。コスモ・メタル社をうまく動かしていくだろう」 「あの顔で援助を頼まれたら、我々も断れそうにないしな」  そんな応えを引き出したレポーターたちだが、わかったのは美貌の若者であるということ。経営に関してはしっかりしているということくらいであった。  この場に出てこないことで、よりミステリアスな感じがして、阿刀野レイという男への興味はますます深まった。一部の経済人たちは、それが狙いなんじゃないかと揶揄するほど。  しかし、誰も、阿刀野レイがコスモ・サンダーの総督だから、おいそれと顔を現すわけにはいかないなどとは、想像すらしなかった。  阿刀野レイが登場しなかったことで、部下たちがブーたれているのを聞きながら、リュウは無言でスクリーンを眺めていた。  ──会いたい。会いたくない。会いたい。会いたくない。会いたい──  リュウの心の中は、そんな思いがぐるぐると回っている。  宇宙軍にいる限り、会うことはないのだろうか。そう思うと、ほっとすると同時に、ひどく寂しい気がした。
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