夏の終わりに咲く朝顔

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ある朝、窓を開けてベランダを見ると、放置していた朝顔の蔦が伸びていた。 枯れた茶色の蔦の合間に真新しい緑の蔦が支柱に絡まりながら伸びている。 それは、この部屋で半同棲していた元彼が去年の夏に勢いで買ってきたものだった。 がっしりとした肩幅に日に焼けた肌が似合う高校野球児みたいな彼がしっとりとした紫色の蕾を付けた朝顔の鉢を抱えて帰ってきたとき、その不釣り合いさに私は吹き出してしまった。 彼は後先考えずに衝動的に行動するタイプの人だった。 「ゆみちゃんのことタイプだわ。付き合いたい」 専門学校で初めて顔を合わせたその日にそう言われた私は、驚きの反面、彼のその真っ直ぐさに胸を打たれた。 優柔不断な私を引っ張っていってくれる彼との付き合いは楽しかったけれど、付き合っている4年の間に彼は何度も浮気をした。 彼は、自分の欲望に貪欲なだけなのだ。 何度も別れようと思ったけれど、「ごめん!!もうしない!」と素直に謝られると私はそれ以上言えなかった。 そんな彼に「本当に好きな人が出来た」と言われたのは去年の秋口だった。 私のことは本当に好きじゃなかったんだろうかと思いながら、「そっか」と自分でも驚くくらい落ち着いた声で返した。 その頃には、彼から別れを切り出してくれないだろうかと思い始めていたのだ。 太陽に向かって貪欲に真っ直ぐ伸びる向日葵のような彼は、私にはいささか生命力が強すぎた。 支柱に寄りかかるようにゆるゆると蔦を巻き、朝に咲いて夕方には萎れているそんな物憂げな朝顔くらいが私にはちょうどいい。 そんな風に感じていた。 ガラガラと音がして、私は朝顔から目線を上げた。 目と鼻の先にある向かいのアパートの窓から若い男性が顔を覗かせていた。 シャープな輪郭、気怠そうな目、色白の肌にぷっくらとした唇。 よれた薄手の白いシャツから華奢な腕が見える。 生気は薄いのになんだかやけに色っぽく、妖しい雰囲気を身に纏っている。 窓際に立っている私に気づき、彼は小さく会釈をした。私もつられて会釈を返す。 彼は視線を手元にやり、綺麗な細長い指で「Peace」と印字された薄黄色の箱からタバコを取り出す。 私はタバコの煙が嫌いだ。 澄んだ空気を吸っていたいとは思わないけれど、澱んだ空気の中に敢えていたいとも思わない。 窓を閉めようと手をかけたその時、 「それ、朝顔?」
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