ダーツ

1/1
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

ダーツ

「おめでとうございます、あなたは一兆人目の亡者です」  空間全体がシャボン玉のように滲む。  声のほうに向きを変えると、灰色の男がいた。  例えるなら、灰色の色鉛筆に灰色のハットを被せたような人型で、唇だけが暖色のオレンジで浮いて見える。  するっと近づいてきて、口元だけでニコリ。  私が面食らっていると、 「亡くなった直後は、記憶を無くしてしまう、そういう方もいらっしゃいましたから、問題ないです」  事務的な話し方で、また口元ニコリ。  そう言えば、記憶がない。  でも、そんなに心配もしていない。 「私、死んだんですか?」 「はい」  キッパリとした回答が返ってきた。 「どうやって?」 「それは……あなたが思い出してください」  知っているけど、教えないってことなのかな。  じゃあ、多分この人って。 「……死神さん、ですか?」 「いえいえ、『神』などと畏れ多いことです。私はガイダンスのようなものですよ」  わざとへりくだった物言いをする。 「ガイダンス……」  オウム返しが精一杯だった。   「さて、おめでとうございます。あなたは特別に生き返ることができます!」  仕切り直しのニュアンスで、少し声を張っている。 「……はっ?」  ちゃんと聞こえたけど、脳にまで届かない。 「あなた、生き返れるんですよ」 「……えっ、えぇー」  困惑して、驚く声も上手く出せない。 「一兆人目の亡者のあなたに、節目の記念として、蘇る権利が与えられました」 「…………」  口を開けたままだったので、乾いてしまって無言になる。 「あれっ、嬉しくないですか?」  怪訝そうに聞かれたので、 「えっと、喜ぶところです、よね?」  好ましい言葉を選んで返した。 「これは凄いことなんですよ!」 「はあ……」  さっきから喜べという圧が凄い。 「あなた強運!」 「どうも……ありがとう」  口先だけの感謝を伝えた。  どうやって死んだのかわからないまま、生き返って大丈夫なのか。  心配のほうがまだ強いんだけど。  でも、聞けない雰囲気でどんどん進んでいく。 「それじゃあ、サクサクっと済ませましょう」   言い終わるのを待っていたとばかりに、何処からともなく仮面をつけた小柄な者たちが、わらわらと集まってきて、テキパキと何かを設置し始めた。  灰色鉛筆さんは所定の位置があるのか、スタスタと私から離れていってしまった。  だんだんと形になっていくそれは……  ん?  これは見覚えがある……けど?  設置が終わり、また、わらわらと仮面の小柄な者たちが何処かへ散っていって、最後の者に小さな矢を手渡された。 「こちらのルーレットを回しますから、その矢を投げてください」  円形のルーレットボードの横に立ち、慣れた感じで説明が始まる。 「ダーツ方式!」  思わず大きな声を上げてしまった。 「その矢が刺さったところから、生き直してください」  バラエティー番組の司会にしか見えなくなってきた灰色鉛筆さん。  ルーレットが細かい円グラフになっていて、枠の中には○年前、○日前、○時間前に、割り当てられていた。真ん中の、何も書いていない枠が気になって聞いてみる。 「金色の枠のところはなんですか?」 「こちらは生き返れませんが、次回、来世の人生を自由にカスタマイズできます。容姿・性別・その他全て、あなたのお気に召すままです」 「それは凄いですね!」  これは素直に感嘆する。 「やっと、凄さがわかってくれましたか!」  嬉しそうに言って、 「じゃあ、狙いは真ん中ですね、強運のあなたなら、さらに強運を引き寄せるかもしれないですよ~」  わざとらしく発破をかけてくる。 「あっでもまだ、何も思い出せていませんよ」  やっと言えたのに、 「生き返ったら思い出しますから」  と急かせれた。  私は俯いて持たされた小さな矢を見つめた。先端が尖っていて、後ろにハート型を半分にしたような羽根が付いている。  ダーツの矢だ。  本物を触ったことはないけど。 「練習とかは?」 「ぶっつけ本番です」  やったこと無いのにぃ。  いじいじと矢を弄んでいると、 「あなた、どう生きたいですか?」 「えっ」  真剣な顔をして、射るように私を見つめた。 「記憶の無い、真っ新な状態の今のあなたなら、どう生きますか」  動いてないはずの心臓付近で、大きな銅鑼(どら)が鳴り響いた感覚に、全身が痺れたように小刻みに震えてよろける。  内側が熱くなって、自分を抱きしめるように両腕を回した。  込み上げてくる衝動に従って、私は、 「……私は……私の為だけに生きます。誰にも振り回されず、誰も振り回さず、気の向くまま、自由に!」  叫んでいた。  高揚して頬が熱い。 「では、よい人生を」  また、口元だけでニコリと笑った。  ルーレットが回転し出した。  私は矢を構えた。目を凝らして的を見定め、呼吸を整え、慎重に慎重に――  矢を放った。 「誕生日おめでとう!」  恋人同士がケーキを挟んで見つめ合う。  付き合いたての初々しい感じが、こっちまでキュンキュンする。  テレビのスイッチを切って、美男美女の恋人たちを消した。  さて。  ソファで横になっている彼を見つめる。  よく眠っている。  ああ、全て思い出した。  私が当てたのは『一時間前』だった。  一時間後に私は死んだんだ。  こいつなんかと……一緒に。  左手の薬指の日焼けが目に入ったが、もう何とも思わない。  誕生日を間違えて買ってきてくれたケーキを、箱に戻して冷蔵庫にしまった。  睡眠薬が入っていたグラスを洗って、カトラリーも棚の中に。  テーブルを綺麗にして、私だけの為に、丁寧にじっくりとコーヒーを淹れた。  鼻の奥まで香ばしい匂いが広がって、溜め込んでいたどす黒いものが浄化される。  一服したら、彼の荷物を片付けよう、自宅に着払いで返したら、どんな顔をするかしら。  貰ったものは全部売ってお金にして、引っ越し代の足しにしよう。  そうだ、この毒はどうしようかな。  ポケットに手を入れて、薄い紙包の感触を確かめる。  まっ、お守りに取っておくか。  そう言えば、さっきの女優さんのリップ、灰色鉛筆さんのに似ていたな。  明日、お店に行って調べてみよう。  コーヒーを一口飲んで、破顔した。  
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!