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「侑っ! 大丈夫?」
「おい坊主、周りをよく見て歩け。」
杏とその男の声が重なった。杏は長いスカートが地面に触れるのも構わずに、自分の腕を取り、立ち上がらせてくれた。
転んだ時に打った膝よりも、何かにぶつけた左の向こう脛が死ぬほど痛い。涙を堪えながら顔を上げると、スーツの上に紺色のジャンバーを羽織り、ぞんざいにネクタイを締めただらしのない格好の男が見えた。
髪は、櫛を通してるの? って言いたくなるぐらいあちこちに跳ねるパーマがかかった髪。でも背は高い。167㎝ある自分が高いと思うぐらいなんだから、180越え? かもしれない。
私が足をぶつけたのであろう台車を掴んでこちらを睨んでいる。台車には沢山のお茶やジュースのダンボール。たぶん、学食の前の自販機にジュースを補充する業者の人だ。
「チッ。女に感けているからこんな事になるんだ。」
2回目の舌打ち。何なんだろ、この人。「すみませんでした。」と謝ろうとした言葉が、喉の奥に消えていくのが分かった。
軽く会釈をして歩き始める。男も同じように台車を押しながら反対側に歩き始めた。
「足、大丈夫?」
「うん、へーき。ありがと杏、もう大丈夫。」
声が男には到底届かない距離まで来て、やっと杏が口を開いた。少しだけ力が入らなかった足も感覚が戻ってきた。たぶんアザにはなっただろうけど、大丈夫。
「さっきのオジさん、失礼だったよねーー。」
「そう、あの舌打ちは無いわ。」
腕を離して話しかけてきた杏に頷く。杏は優しい。このままA棟まで付き合ってもらっちゃお。
「でも、イケメンだった。」
「えーーっ! アレが? ボサボサの髪しか印象に無いわ。」
「あはははっ! 侑らしいっ。」
顔は見たけど、カッコいいとは思わなかった。別に男って顔じゃないし。性格が全てでしょ? でも、こういう性格の男の子が好み、っていうのが自分には分からない。
彼氏はいるけど、友だちの延長みたいなもの。キスはしたことあるけど、別にときめかなかった。彼氏もそれ以上迫ってくるでもなく、自分から脱ぐ気にもなれず。
「経験」があれば、杏みたいに女の子の服を着て、ハイヒールでも履きたくなるのかな? でもそれじゃあ、自分じゃない。スカートに合わせる時でも、自分はぺったんこの靴。これ以上背が高くなると目立ってしょうがないし。
そんな事に頭を巡らせながら、杏との会話を楽しむ。男のネクタイの縛り方がなってないとか、歩き方がオッサンだとか。イケメンだったと主張する杏に、否定する言葉を重ねながらA棟の教室まで歩いて行った。
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