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「ウィスキー、ロック。」
俺がこの店でウィスキーを頼む時には必ずジョニーウォーカーを出してくれる。色々味をみたが、このスモーキーな味わいが俺好み。でも氷が溶け出す前に一気に呷る。
「おかわり。ダブルで。」
「純さん、何かありましたか?」
酒の瓶を取り出しながら「J」のマスターが聞いてきた。まだ7時半前。開店したばかりの店には誰もいなかった。注がれた琥珀色の液体を眺める。溶け出した氷がゆらゆらと酒と混ざろうとしていた。思い出すのは侑の言葉。
『何? キスは別なの? 男でも女でも誰とでもキスするわけ?』
「んなわけないだろっ。」
グラスに当たり散らすように呟きながら、喉に流し込んだ。さっきとは違い、胃が焼けるようにチリチリと痛み出した。
「純さん大丈夫ですか? 何かお腹に入れないと。」
マスターがナッツを皿に盛り、目の前に置いてくれた。一掴み口に入れながら考える。侑はキスは嫌がらなかった。それは絶対だ。けれどもあの言葉……ゲイは嫌だってことなのか?
「ああ、分かんねえっ! えっ? 俺って振られたわけ?」
振られたなんて初めての経験だ。俺が気になった奴は結構簡単に落ちるのが常だった。いつも、いつも待ってましたとばかりに喰いついきて……。そしてすぐにセッ・スに持ち込むことができたんだ。
「振られたのですか。」
マスターの静かな声にふと顔を上げる。いつの間にかカウンターに肘をつき、ウィスキーとナッツを目の前にして髪を掻きむしっていた。マスターの優しげな瞳が瞬く。
「そして忘れられない、と。」
忘れられない? そんなの当たり前だろ? ついさっき昼間の出来事だ。忘れろっていう方が無理じゃないのか?
「ふふふ。純さんのそんな焦っている様子、初めて見ました。明日になっても諦めきれないのであれば、もう一度アタックしてみては?」
「明日……か。」
そうだな。今日は振られて苛立っているだけ。明日になれば、侑は過去になってるかも。やはり男の方が俺にはお似合いなのかもしれない。
マスターがいつものローストビーフを出してきた。箸をとって一枚口に入れる。いつもの味とは違い、円やかに仕上がっているようだ。
「マスター、今日のローストビーフ美味いな。」
「ふふっ。純さんそれ、ローストポーク。純さんが以前『イマイチ』と言っていたものですよ? かなり動揺してますよね。」
マスターの言葉に肉を見る。そういえばいつものより赤みが少ない。もう一枚口に入れる。以前はどうしても好きになれなかった味が、とても美味く感じた。
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