負けるなよ

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 負けるなよ、と言われてきた。  小さな頃から、近所のなになにちゃんに負けるなよ、あっちのなになにちゃんに負けるなよ。みっちゃんならできるから。ね。負けるなよ——。私は頷いた記憶もあるし、何も言わなかった記憶もある。家族はいつも朗らかに、私に「負けるなよ」と言った。  私は特に負けつもりはなかった。家族に反発していたのではない。散々言われてきたけれど、なんだか他人事のような気がしていたのだ。それでもなぜか私は負け。勉強も運動も、大きな努力をせずに上の中の水準を保つことができた。近所のなになにちゃんもあっちのなになにちゃんも普通の子だったから、当然彼女らに負けることはなかった。家族はいつも満足そうだったが、私に「負けるなよ」と言った回数に見合っているかというとその満足さは見合っていないようにも見えた。  私はレベルの高い中学、高校、大学へと進んだ。勉強だけでなく、スポーツやボランティア活動、自己啓発等にも同時に取り組んでいた。そういえば、私は顔も悪くなかった。美人ではないが、化粧をすれば美人にかなり近づけた。それから、ある程度は人格者だった。人並みの優しさや空気を読む力は身につけていた。恋だってしたことがあるし、愛も知っている。私は20歳を越えたが、相変わらず家族は「負けるなよ」と太陽のような笑顔で繰り返した。  私は大学院の推薦を断り、有名な四年制大学を優秀な成績で卒業後、国内大企業の海外支社に勤めることになった。二年間、国内及び家族の元を離れる。実家を出たことのない私にとって、こんなにも家族と離れたのは期間も距離も生まれて初めてだった。行き先はシンガポール。最先端の都市。全てが魅力的で輝いていた。  シンガポールに赴任してからまもなく一年が経とうというときに、この一年同じ支社で働いてきた三十歳年上の支社長が、私を押し倒した。私はすぐに必死で支社長を叩き、逃げて、事なきを得た。支社を飛び出し、社宅にも戻らず、シンガポールの常夏の街をひたすら歩いた。街は明るかった。  落ち着いた後、国内本社に電話をすると私の解雇が決まっていた。理由は忘れてしまった。明日には社宅を出るように言われた。貯金はあった。  この一年家族とは連絡を取っていなかったけれど、今も特に取りたいとは思わなかった。    今までの人生で最も必死だったのではないかと思われる行動を取った次の日に、私は荷物を持ってシンガポールの社宅を出た。振り返ることはなかった。その代わり、ここまでの私の人生を振り返った。振り返ったが、なんだか靄がかかってしまったようで何も明確に思い起こすことができない。そうか、私は初めてと実感しているのだ。自分の本気が打ちのめされたような感覚。どれだけ何をしても通用しない。努力しても及ばない。解雇は決して覆らない。私は負けてしまった。  近所のなになにちゃんにも負けず、あっちのなになにちゃんにも負けず、大体の人間には大体のことで「都合良く」負けずに生きてきた。それでも私は「一番」ではないことの方が多かったので、学年首席の人やスポーツテスト1位の人と比べると負けていたはずなのに、なぜいままで「負け」を実感したことがなかったのだろう。 全てにおいて概ね優良優秀順調な人生を送ってきた私を待っていたのは、訳の分からない「負け」への疑問だった。  家族に連絡をしないまま日本に戻った。約一年ぶりに帰ったが、家族は喜んで受け入れてくれた。そしていつもの笑顔で言った。 「負けるなよ」 私は家族の笑顔を見た。初めてちゃんと見た気がした。 「負けるなよ」 初めてちゃんと聞いた気がした。  私は負け。自分の全力の行為に対して、対抗力に、対象物に、見えない何かに、理不尽な何かに、屈服してしまった。初めて必死になって、それでもだめだった。、だめだったのだ。 「負けるなよ」 家族は私に言っていた。他人事ではなかった。私は私として、その言葉を初めて身体に入れた。  ああ、そうか。そういうことだったのか。負けとはなんなのか、負けるとはどう言うことなのか。負けるなよということはどういうことだったのか。  一ヶ月後、私は転職活動に心血を注ぎ、新しく素晴らしい仕事を見つけた。国内最大とも言われる大手企業の社長秘書だった。社長は女性で、自分の親と同じくらいの年齢のわりに心身共に美しく、心から尊敬できた。その会社は私の前職の会社の大元の親会社だった。私の新しい社長は、私の話を聞くと前職の海外支社長を解雇した。  それから新しい社長は私の勤勉な働きぶりを評価し、秘書以外の重要な仕事も任せてくれるようになった。私と同い年で、同じ会社で働く後継ぎの息子も紹介してくれた。私達は夫婦になり、彼は見事に会社を継いだ。  子どもを連れて実家に帰ると、私を待っているのは家族全員のただただ暖かく朗らかな最高の笑顔だった。そしていつもこう言うようになった。 「おかえり」
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