第8話 和気さん、ライジズ

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第8話 和気さん、ライジズ

 四角く味気ない感じの建物は、近づくと思ったより大きかった。  そばまで寄ると、いろいろな匂いがしている。  工場の前にある木を組んだ箱には、ねじれた金属片がいっぱい詰まっていて、下には油と思われる液体が染み込んでいる。箱の下の土も色が変わっている。 「いまどきの工場だと、あれやこれや環境対策することになってるのだがなあ」  宇藤木のつぶやきに、みずるが反応した。 「昔、こんな切粉を触って指を切ったことがあった。叔父さんのところで。ちょっとつまんだだけなのにざっくりと切れて、叔父さん真っ青になった。悪いことしたわ。それで加工硬化って言葉を知った。切粉って、削った時の熱のせいで刃物みたいに硬くなるんだってね」 「それは痛かっただろうが、ゴージャスな経験だ」 「そお、ありがとう」 「わたしなんか、釘を踏んだら金槌を持った人物に追い回された思い出しかない。相手は九州の出身者だった。そういう民間療法があるそうだが」 「ワイルドな少年時代だったのかしら」 「そうかもね」  どこかから、かすかに唸るような音がしている。換気扇とは別の音だ。  草むらに隠すように車が置いてあった。 「あのジムニー」みずるはささやいた。「相当お金がかかってる。さっきスーパーの中から見かけたやつかな」 「色はもさっとしてるし、高級そうには見えない。着物の裏地に凝るというやつ?」 「そうね。屋根に乗った薄いキャリア、パスファインダーってカスタムメーカーのチタン製。かっこよくて馬鹿高いんだ。ハンドメイドね。ちなみに馬木さんと同じメーカー。それにホイール。純正品の色変わりみたいに見えて実は、カーボンとスカンジウムのハイブリッド。こっちもさっき言った通りの価格。とても手がでない。四駆に使うってのが、なんなんだ、といいたいけど」 「リージョンセンターに乗ってきてたお相撲さんみたいなバンが公式なお出かけ車で、こっちが趣味用か。独身の社長令息だし、複数台持ちでもおかしくないのにあんな渋いのとは。派手な外車とかではご近所や同業の目があるのかな」 「当然、目にしたお客の反発もあり得るから、店には乗り付けられないよね」 「庶民向けが売りの店だしな。こっちとしては、段差を乗り越えるたびに傷のつく非実用的な車に乗ってもらったほうが馬鹿にしやすいのに。ほらみて、アホ息子がきたわ、とか」 「たぶんだけど、彼、自分で手が加えられる、あんな車が好きなのね」とみずる。「パーツとか自作できる技術を持っているのでしょ」 「なるほど。においの元はそれだな」宇藤木はうなずいた。「こんな工場があるなら、自作を販売しているとも考えられる。ガレージビルダーっての。転職願望があるのかもね」 「そうか、もしかしてパスファインダーって、彼のブランドじゃないかな。受注生産で、登録会員以外に所在地は公開していないの」 「ふむ。それから、馬木と共通項の趣味があり一時は密接な関係だった可能性が高い。なのに、この前は全然そんな話が出なかった。彼らをめぐる人間関係になにかあったか。単なる喧嘩別れか、それとも」  二人は囁き合いながら、建物に接近した。みずるが聞いた。 「それでここは、なに?趣味のガレージにしては、本格的すぎる」 「昔の父親の工場あとを秘密基地にしている。所有者はまだ調べてないが、お金持ちになったので買い取った可能性はある。元のオーナーに頼まれたとかね」宇藤木は言った。 「つまり瑞樹氏はここで、丼ビジネスに挺身のかたわら趣味で機械いじりを続けていた。高専を出たほどだから基礎はあって、物づくりも好きだったのかな。和気さんの想像したように、おそらく車のパーツと、ギロチンをハンドメイドしている。量産しないなら機械設備はパパのお古で間に合うし、あとは必要に応じて買い足せばいい」 「それにしても、ギロチン」みずるは顔を思いっきりしかめた。 「そうだね。技術も立派な工房もあるのに、たゆまぬ研究の成果が『あれ』だからな。最初は人のおけつを叩いて驚かせるぐらいだったのが進化し、ついに新作で馬木の鼻の頭をすっとばした。さっきは和気さんのおみ足を狙ったのも、新型だろうか。テストに和気さんを狙うとは、許しがたい」宇藤木はいつも猫背気味の長い身体をぐいっと伸ばした。  みずるが「くれぐれも慎重に」と言うのを彼は笑顔で聞き流し、 「とりあえず、のぞいてきますね」と、手をふりふり建物に入って行った。  彼が粗暴であったのを見たことはないが、あれだけの大男だ。  当人より酒井瑞樹が心配となって、いったん工場入り口を離れて身を潜め、難波に電話した。考えたら福沢の携帯番号は知らなかった。 「たのもう」と、宇藤木の声が聞こえてみずるはずっこけた。  あの男は、いったい何を考えているのか。とにかく連絡だ。  二度目にかけ直した時、やっと難波が出た。「ああ、難波くん、お忙しいのにごめんなさい、実はね……」  なるべく声を抑えながら、宇藤木が突撃してしまった、近くの警官を呼ぶほどでもないのだろうが、どうにも気がかりであるので、きてもらえると助かる、などと回りくどく頼んだところ彼は大声で、 「ところがいまぼく、運転中なんですよね」と、生意気を抜かした。 「緊急じゃないけど用件もあるんですう。困ったなあ、こんな時に。そんな勝手なことされても、こっちだって遊んでるわけじゃないし、ねえ」  聞いたような口を叩くなこいつ、とむかつきながら、 「もしかしたら、手柄につながるかもよ。逆に放置したら、失点だし」と囁いてみたら、 「うっ」となにやら隠微な声がした。  しばらく音がとだえた。耳をすませていると、通話口から難波より年かさの男の声が聞こえてきた。    「ばか。そういうときは、すぐ行ってやるもんだ」と叱っている。「あれだけ世話になってて、なにもったいぶってる。はやくしないか」福沢だ。助かった。彼は、それなりにこれまでの宇藤木とみずるの貢献を認めてはくれているらしい。 「えええ、そうかなあ。なんだかなかあ」語尾をいやらしくあげた声がまたして、 「しかたないですねえ。じゃあ、行きますよう」と難波は住所を教えるよう言ってきた。  通話を終え、みずるは鼻から息を漏らした。 「あいつ、和気さんだけが頼りですとかぬかしたくせに。あとで覚えていろよ」  難波は、一人だけだとやたら頼ってくるくせに、そばに誰かがいると態度が激変する。とりわけ、その人物に権限なり権力があれば俄然、力が乗り移ったかのように偉そげに振る舞いはじめる。若いくせに絵に描いたような小物である。よくドラマで、偉い人間の腰巾着がコミックリリーフとして出てくるが、歳をとったら、あ奴も間違いなくそうなる。いや、もうすでになっている。  しかし、馬鹿はともかく待っていれば福沢がきてくれるというのがわかって、心に安堵感が兆した。彼なら、事態がどう転んでもそつなく収拾してくれそうだ。  とにかく万が一の危険は回避できそうに思える。  安心した気になって工場の様子を探ると、ガラスの割れる音がした、気がした。 (げっ、なにしとんじゃピエール)  まさか、殴り合いなどしてないだろうな。  宇藤木は正面から突破を図ったが、みずるにそんな度胸はない。 (どうしよう)とうろたえつつ工場側建物へにじり寄り、そして裏側に回った。  ちょうど搬出入口と思われるシャッタードアが全開になっていた。まるで、入りなさいと勧めているようだ。 「いいよね、こんなに大きく開いてるし。怒られたら、すぐ逃げるから」胸をドキドキさせながら腰をかがめ、おっかなびっくり薄暗い工場内に入って行く。  中は、油のような独特の匂いがしている。さっきまで稼働していたかどうかまではわからなかった。  立ち止まり、耳をすませ奥の気配を探る。わからない。照明は、いかにも休日出勤のオフィスという感じに、数を絞って点灯させてある。みずるのいるのは、おそらく完成品を一時保管していたエリアであろうか。空の棚ばかりだ。  腰を落とし、適当な物陰に隠れてもっと奥、宇藤木がいるはずの場所をうかがう。 (ああ、今日はお休みなのに)と考えた。(わたしは一体、暗がりでなにをしておるのか)  ふと横を見ると、棚のひとつにずいぶん古いカレンダーが貼ったままになっていた。長崎にあるアミューズメントパークのものらしい。満開の花を前にして、可愛らしい女の子がはじけるような笑みを浮かべている。楽しそうだ。 (世の中のまともな女子どもは)と、みずるはまた考えた。(いまどき日頃のうさを晴らしに、買い物に行ったりなんじゃらランドで遊んだり、彼氏のところを訪ねたりしているのかな。いや、私の年代だと、夫・子供とまったり過ごすってやつか)  げっそり。  のろのろと乱れた髪を整え、ずれた眼鏡を直した。  しかし次に彼女は、腰を伸ばし背を伸ばし、薄い胸をはって昂然と顔を上げた。 (ところが、どっこい)みずるは自らに叫んだ。(わたしは工場の裏口から潜入捜査だ)  薄暗い工場の奥にはあかりが見えた。(いや突入だ。クラリスだぞ、かっこいい!) (くやしかったら、やってみろ)  そうでも思わなければ、いや、そう思えばまだなんとか生きていける。  さいわい、今日の足元は、足首まであるハイカットのスニーカーで固められている。上下とも厚手の衣装だし、転んだりしても大丈夫。  膝だって、震えていない。  みずるは再び、前進を開始した。  実際に内側に入ると、町工場というものは、外観はボロでも整頓はされているものだと感心した。中は物が多くて決して広くは感じられないが、それなりに整理が行き届いており、足元は動線が確保されている。それとも、当事者がファストフード店の経営に携わっているせいだろうか。 「あっ」  部屋のすみにラックがあった。 (あー、羊たちの沈黙とその亜流だったらここで死体)  ぶら下がっているのは、懸念した動物性のなま物ではなく、鈍く光る銀色のパイプを組んだ金属パーツだった。  おそらく、ディアガードと呼ばれる、SUVの前面にとりつける防護器具だ。 (これつけたら、歩行者にダメージあるから、駄目なのにいー)  と、内心で非難する。  加工に使ったと見られる治具も置いてあった。さらに近づくと、一般的なディアガードに比べ、細いパイプを複雑に組んであるのがわかる。色も単純な銀色ではなく、曲がったところは青みがかっている。 (チタンなのかな。ちょっと欲しいかも。これが事件がらみじゃなかったら、カスタムオーダーしたいところね)  その奥には、工作台と思われるごついテーブルがあった。上にレールみたいな部品のついた装置が置いてある。 (なんじゃ、これは。見たような、見たことのないような)  用途はわからない。まわりをぐるりと見回す。  叔父のアトリエや職場に長年に渡って出入りし、機械装置に多少のなじみのあるみずるには、手前に置いてある使い込んだ機械が旋盤やボール盤などの切削加工機、そしてアルゴン溶接機であるのだけはわかった。  使い方のわからないものも多い。しかしどれも小ぶりで、叔父の仕事場にあった放電加工機やデジタル制御の自動工作機械みたいに迫力のあるものは見当たらない。 (最新のマシニングセンターとか、さすがにあんな立派な装置はないのね)  そういえば、叔父の趣味でもある中古工作機械見物について行ったことがあった。  あんなものを集めて売るビジネスがあるのが驚きだったし、店の人は小学生のみずるを珍しがり、正体のわからない機械を動かして見せてくれたりした。  その日は叔母の久里子もいて、みずると一緒になってさんざん笑い転げ、帰りには三人そろって百貨店に寄って食事をし、本と服と靴を買ってもらった。あの日に買った物は、いまでも大切に残してある。  あれほど楽しかった思い出は、実の父との間にはない。忘れてしまっただけだろうか?  奥まったところにあるテーブルには、小さなコードのついた装置がきちんと置いてあるが、なにであるかにはぜんぜん連想が働かなかった。  もちろんさっき、みずるの車についてあった装置も見当たらない。とはいえあそこまで小さければ、どこにでも隠しておけるだろう。  その時、奥から弾けるような音が聞こえビクッとした。  人の声の応酬にも思える。目の前のガラスの向こうに無人の事務室があり、その奥にさらに部屋があるようだ。おさまった。  足音を殺して接近を図り、入り口の横に立てかけてある黒い箱にぶつかりそうになって、慌てて止まる。  見ると、台の上に立てかけられた細長い黒い箱の下のあたりから、ちょうどレの字になるように薄い棒がのびている。高さは顔のあたりまであって、これから彼女が進もうとした空間を塞いでいた。  かろうじて外光の入る昼間なので分かったが、室内の乏しい照明だけだったら、角度もついていたし、そのまま頭突きしてしまうところだった。  横にある椅子の上に、電動工具が置いてあった。製作あるいは修理中なのかもしれない。 (まあ、なんとも整理の悪いこと)  他がきっちり片付けてあっただけに、よけい腹が立った。  ずれた眼鏡をなおしつつ見ると、突き出た棒は薄い金属と思われる。黒く塗ってあってよくわからなかったが、端部をよく見ると、 「刃がついているじゃない。なによ、これ。あっぶな」  ぶつかったら痛いどころか、運が悪ければ大怪我だ。眼鏡が吹っ飛ぶぐらいでは済まず、角度によっては頭蓋骨にざっくり食い込むところである。  こういうのが放置できない性格のみずるは、深く考えずにその変な装置を片付けはじめた。  あたりを見回し、スチールラックの上に載せてあった四角い布を拾った。作りかけの機械とか部品類は、なるべく素手で触れないのが無難と教わった。塗装前ならなおいけない。 (おじさんはウエスって呼んでたな)と思い出しながら、とりあえず布越しにその棒に手で触れた。ぬるりっと動いた。 「あー、動くわ。なんだろ、これ」  軽い抵抗を受けつつ、ウエスごしにつかんだ棒は、みずるの手の動きにそってワイパーのような軌跡を描くと、かちりという小さな音をたてて、ついに完全に箱の中に引っ込んでしまった。今度は出し方がわからない。  勝手にいじってはまずかったのかもしれないが、 (うん。少なくとも放置するよりましね)と、思うことにした。  そのあと、けっこう重いその黒く細長い箱を、みずるはよっこいしょと動かし、戸から誰かが飛び出てきても、ぶつからないところまで移動した。宇藤木など始終ぼんやりしているから、こちらから出てくれば、そのまま突っ込みそうである。  手に持ってわかったが箱は、金属板を曲げて溶接し、形を作ってあるようだ。塗装の上からでも溶接の痕があるのがわかる。酒井の手作りかもしれない。溶接ビードは、ところどころうねった団子のようになっていて、叔父の腕よりもかなり劣るのはわかった。  艶消しに塗装された、ただの黒い箱に剣呑な刃のついた棒が仕込まれているなんて、なにに使うのだろう。ロール用紙とかを裁断する装置なのかなと想像する。動力源も不明だ。  しばらく見ていたが、やっぱりわからない。片付けたことだけに満足し、半開きの扉を抜けて、みずるはさらに奥まった部屋へと足音を忍ばせて向かった。 「あんたも、おれを屈折したシスコンって思いたいのか」  耳にいきなり、聞き捨てならない台詞が飛び込んできた。酒井の弟だ。照明のつくった影に隠れる。いきなりスパイ気分だ、いや芸能記者か。  立ち上がってのぞくと見えてしまうだろうから、ドアにはめ込まれたガラスの反射を利用して中を見る。酒井瑞樹と、その前に誰かいる。腕だけがわかった。やけに大きい。 (当然、ピエールね)  すでに酒井と対面し、議論しているようだ。 「やつらは馬鹿だ、話すことといえば、いいかげんな人のうわさばっかりだ」  酒井がひとしきり、愚痴とも怒りともつかない呪うような言葉を放った。どうも、彼をシスコン呼ばわりする人間が他にいるようで、それについて怒りを抑えきれないらしい。  こんなタイミングで顔を出していいものか迷って、とりあえず二人を見渡せる陰に移動し、腰を低めて見守ることにした。  あっちからは暗くて見えないのを期待して。
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