661人が本棚に入れています
本棚に追加
いや、彼女との時間は確かにあって、確かに俺とおまえは繋がって交わっていたんだ。そこに気持ちがないなんて不純なことが出来る女じゃない。緑はそう信じている。
月丸レモンを片手に、緑は厨房に戻る。
「帰ってこい、無事に還ってこい。それだけでいいから……」
必死にレモンの果汁をしぼり出す。
実ったばかりのグリーンレモンの最初の香りは鮮烈で、そして非常に酸っぱい。
『すっぱーい。でもいい香り。あれ? でもこのレモン、酸味がちょっとやわらかい? 飲みやすい!』
月丸レモンを初めてレモネードにして飲ませた時の、乃々夏の顔が浮かんだ。
いまレモネードを作っても、彼女はいない。
あの時、出航でここを出て行くとき、十回目のプロポーズを押しつけたあの日。レモネードを飲ませなかったばかりに……。
自分で作ったレモネードを飲み干して、緑はカウンターにグラスをとんと強めに置いて項垂れる。
「これが今生の別れかもしれない……。だったら、飲ませればよかった……。飲ませなかったから……」
もちろん今回、彼女は無事だった。
でも、飲ませなかったから――。飲ませないでもし、彼女に何かあったら、俺は自分の気持ちだけ押しつけて見送ったことを、どれだけ後悔することになったのか、想像したくはないほどの、苦しさが襲ってくる。
いつもの見送りじゃない。
『いつも、これが最後かもしれない見送り』でなくてはいけなかったのだ。
最初のコメントを投稿しよう!