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日月の正体
耳を塞いでいても聞こえてきて来るうめき声は、地鳴りのように響き、経験したことのない恐怖に、この場から立ち去ることもできずにいる僕の頭上に、重みのある布が被さってきた。
手繰り寄せたその布は、花が散りばめられた黒地の着物。
他でもない日月がいつも肩に掛けてあるモノで、これから何が起こるのかわからず、渡された着物で頭を覆うと、銀木犀の優しい香りに包まれているみたいで、恐怖心が薄れていく。
童と僕を呼んだ日月は、僕を黒い煙の塊から隠すように立ち、空を見上げ、大きく息を吸うと、ゆっくりとその息を吐いた。
「何があっても声を出すではないぞ? よいな」
振り向いて言った日月は、人差し指を唇に乗せ、口角を上げていたが、その目の鋭さに、ただ事でない感じがして、僕は声が漏れないように両手で口を塞ぐと何度も頷いた。
それでいいと頷いた日月は、僕から数歩離れた中央に立ち、空に向かって右手を上げ、その手は何かを払うように揺らし始める。
やがて、さんさんと照らしていた陽の光は、厚みがある灰色の曇によって奪われていき、日月の足元からは、優しい風が日月を囲うように舞っていく。
シャンシャンと神社でよく聞く鈴の音が、闇を纏った声をかき消すほど高い音を響かせながら、鈴の音に合わせて、日月が何かを口ずさむ。
『日、いづるはあずま、西の月、照らすは日月』
何かの呪文を唱え始めたのか。赤く染められた着物の裾からは、優しい風と共に、無数の赤い蝶々が飛び周り、その蝶々によって深紅の着物は色を抜かれ、まっさらな白へと変わっていく。
それどころか黒く長い髪と尖った耳は、妖怪の本で見た銀髪へと変化していった。
『我、ここに成す』
四方に散って消えた蝶のあとには、白い着物に銀色の髪、揺れる尻尾は、一尾から八つに別れ…わか…
えぇぇ! 八尾の狐?!
九尾の狐は有名だけど、あまり知られていない八尾の狐とか超レア! 九尾の狐がレジェンドレアなら、八尾の狐はアルテミットレア!
叫びたい! 叫びたい! 僕は興奮を抑える為、しっかり口を手で抑えるも、足をバタバタとさせてしまう。
そんな僕の事などお構いなしの日月は、まだ、地鳴りのように叫び続ける黒い煙に触れる。
『みまし御魂、天に還そう…』
鈴を揺らしながら、手は頭上へと挙げていき、ずっと揺らしていた鈴の音は、頭上まで来ると、速い音を鳴らす。
やがて、黒い塊からポツポツと光を持った小さな粒子が、鈴の音に導かれるように、列を作り、空へ向かって上がっていく。
最後の一粒が空に上るまで、日月が鳴らす鈴の音は一度も止むことなく、鳴り響いていた。
幻想的な出来事に目を離せなかったが、光の粒が天へと消えるのを見届けた僕は、日月に視線を移す。
やれやれと立ち上がった日月の姿は、黒髪に赤い着物を纏ういつもの姿に戻っている。
「なんで戻ってるんだよ!」
もう叫んでも大丈夫と踏んだ僕は、溜まりに溜まっていた感情を力の限り叫ぶのだが、日月からの鋭い視線に、再び口を閉した。
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