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2. 2019年3月2日(土)④
北原がそうつぶやくと、丸多は反射的に三枚目の紙片を取り上げた。
「これは全部事項証明書といって、その不動産の所有権の移転などについて記載されたものです。これも法務局に申請すれば取得することができます」
「すごい、こんなものまで」
「まあ、と言っても私は不動産の専門家ではありません。なので、難しいことは抜きにして、大事なところだけ言いますね。ここを見てください」
丸多は紙片の「権利者その他の事項」と書かれた箇所を指で示した。
「奥寺健男」北原が目に入った文字をそのまま口にした。
「その人が」と丸多。「少なくとも事件が発生したとき、この家の所有者であったはずです、この記録によると。昭和四十三年に奥寺健男さんという人が、あの小屋を入手したことがわかります。そしてそれ以降、所有権の移転が行われていません」
「昭和四十三年ってことは、五十年近く住み続けて」
北原が呆れたような声を出す一方、丸多が淡々と続ける。
「北原さん、この奥寺さんという人、名前からして明らかに男性でしょうけど、心当たりは」
「ないです」
「ないですね」
丸多は自然な動作で再び、二枚目のプリントアウトを上にした。「北原さんのように、事件について詳しく考えたことのある人に聞いてみたいんですが」
もちろん「詳しく」とはお世辞であった。「このような簡素な板張りの家で、密室が成立すると思いますか」
「成立、と言いますと?」
簡単に予想されたことだが、北原が聞き返す。それに対し丸多は機械的な反応で問い直す。
「当然、事件はオフィスビルの一室のように、到底破壊できないような部屋で起きたのではありません。例えば今回のケースでは、壁の一部を破壊して中に侵入することは比較的簡単だったと思うんです。少なくとも、鉄筋コンクリート造りの建物に比べれば」
そこまで聞いて北原は、うーん、と唸った後、口を重そうにしながら答えた。
丸多は、もっと自信を持っていいんですよ、と視線で送りながら耳を貸す。
「そうですね、簡単といっても壁をすぐに取り壊すのは難しいんじゃないでしょうか。人が住んでいたんであれば、断熱材とかも入っていたかも知れませんし」
「成人男性の力であっても困難である、と」この丸多が付け加えた言葉に、北原は一言「そうですね」とだけ答えた。
「これは」丸多は言いながら、プリントアウトの下に貼り付いていたもう一枚を器用に剥がした。
「家屋の焼け跡の写真です」
「四枚目まであったんですね」
「ええ、くっついてたみたいです。フォト用紙なんで。別に隠してたつもりはないです。それで、思い出して欲しいのは、事件直後に、どこかからは未だにわかりませんが出火して、建物が半焼してしまったんです」
「そうでしたね、確かシルバの遺体が発見されたときでしたっけ」
「はい、シルバさんに同行していた東京スプレッドのメンバーが最初に遺体を発見して、その直後、突然家が燃え出したそうです。これもやはり、新聞記事やネット記事の受売りですが」
北原との会話で初めて〈東京スプレッド〉というフレーズが出たことで、丸多はちらと北原の表情を観察した。しかし、北原は丸多の手の動きを追うばかりで、その顔をじっくりと眺めさせることはしなかった。それから丸多はまた卓上に目を落とし、四枚目を北原の見やすい位置に置いた。
「これは、事件の翌日に撮られたもので、事件から数日経ったとき、大手新聞社によってネット用記事と一緒にアップされました」
「見てて悲しくなる写真ですね」
「北原さん、これをご覧になったことは」
「何となく記憶にはあります。僕も事件後、こういう写真を載せたネット記事をいくつか読みました」
黒焦げになった木製の柱や壁が、元の小屋の形を不完全に描きつつ、有用性を一気に霧散させた瓦礫としてそこに残っている。そして、その残骸の力なく絡まったすき間から、青空を渡る豊かな木々の山陵が覗く。
これらの皮肉な組み合わせは、見る者に対しいつまでも、空虚で寒々しい不快感を与え続けるようでさえある。少なくとも、デスクトップの壁紙として、多くの人が積極的に採用するような光景ではない。
「これも確証はないんですが」丸多が解説するように言う。「この焼け落ちた家は、二枚目に映った建物が燃えたもの、として良さそうです」
「燃え残った板の材質とか、入り口のドアとかも見たところ同じですしね」
「はい。それに、周囲の草むらの様子も二枚目の写真と酷似してます。よく手入れされてる、というほどではないですが、草木が伸び放題で荒れ果てているわけでもありません。建物の周辺には、踏みならされて土が露出しそうなところもありますから、直前まで人が生活していたとしても不自然ではないです。そして、それらは二枚目にも共通しています」
北原はテーブルに両肘をつきながら、まるで買ってもらった図鑑でも読むように、二枚の写真を交互に眺めていた。丸多は北原が飽きるのを辛抱強く待ち、彼が上体を起こすのを契機にまた口を開いた。
「北原さん、ここまでで何か感想を持ちますか」「感想、ですか」北原は聞かれてそう言うと、照れ隠しの微笑を浮かべながらまた、うーん、と唸り声を上げた。そして、それ以上能動的な行いをする素振りを見せようとしなかった。
相変わらず優柔不断を最前面に押し出す彼に代わり、丸多が答える。「建物は全焼してないんです。半焼しただけなんです、北原さん。四枚目をよく見ると」
聞きながら、北原が素直に目を写真に向ける。「家の中央部分の多くは燃えずに残っています。よく燃えたのはやはり、シルバさんの遺体が発見された右側の部屋近辺です。その部屋の手前の壁、またホールを隔てた外壁もほとんど焼け落ちて、内部が露出しています。建物の左側は、中央と同様、焼け焦げた箇所が見られるものの、原型はとどめているようです。建物の裏側については、残骸の影になっていて、現段階でははっきりとしたことは言えません」
「なるほど」そこまで聞いて、北原はそう漏らした。さらに、丸多が畳みかけて言う。
「これはごく個人的な意見なんですが、どうも燃え方が中途半端に思えるんです」
「中途半端」
「はい。出火原因はまだ不明で、事件と火事は無関係であるかもしれません。ただ、直感的に考えて建物は真犯人が燃やした、と考えるのが自然です」
「まあ、そうですね」
「北原さん、考えてみてください。この程度の規模の家を全焼させることなんて、造作もないと思いませんか」
「確かに」
「犯人が意図的に火をつけたのだと仮定すると、その意図とは一体何だったんでしょうか。燃える前の家屋に何か犯人に直接結びつく証拠のようなものがあったとして、それを燃やしてしまおうと考えたのなら、普通跡形もなくなるまで燃やし尽くすはずです」
「それなら、建物の右側に証拠が残っていた、とか。それか、途中で雨が降ってきたとか。山の中ですしね」
「まあ、いずれも考えられますが」
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