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東京観光一日目、金曜日は東京タワーや豊洲市場などベタなところを観光したが、土曜日の朝、私の友達は「コミケに行こうぜ」と言いだした。
「俺の職場の後輩にコスプレが趣味のやつがいてさ、今回も参加するんだって張り切ってたんだ。ちょっと冷やかしに行ってやろうぜ」
特に断る理由もなく、私たちはゆりかもめに乗り国際展示場に行った。
私たちは二人ともコミケの存在こそ知れど、行ったことは一度もなかった。だから駅に着くと、とりあえず周りの人に紛れるように進んでいった。向こうの方に宗教施設みたいにそびえる巨大な建物が建っていて、みんなその中に吸い込まれていく。建物の中は通路も売店もレストランもエスカレーターも休憩所も全て人で埋め尽くされていて、ワラワラとケーキに群がる蟻の様子が連想された。そして体育館の何倍も広いホールに入ると、そこはもっと酷かった。本当に隙間がないほどに人だらけで自由に歩くこともできない。上手いこと体を反らして人波を掻き分ける人もいれば、前の人に体当たりして無理矢理進路を作る人もいる。列を成した集団が一斉に流れていたりもする。そうまでして彼らが求めている物は肌色かピンク色を基調としたイラストが描かれた薄い本だが、物見遊山で来た私たちにはそこまでして求める価値があるのかどうか分からなかった。「なんか、疲れたな」と言う友達に私は同意した。駅を降りてからまだ一時間しか経ってなかった。
友達が後輩にラインを送った。本当は知らせずに行って驚かせてやるつもりだったが、これではとても会えそうもない。後輩からの返信があるまで、私たちは邪魔にならぬよう隅の方で避難した。割高のスポーツドリンクで喉を潤す。「そういえばさ、」と友達は私に言った。
「そういえば昨日、お前も小説書いてるんだって言ってたよな。ああいうのを書いているのか?」
友達は並べられた薄い本を顎で指した。私は違うよと言って、友達にも説明してあげることにした。私の書いているのはラブロマンスだ、マンション清掃員が『良く分別された理想的なゴミ袋』を想像し、やがてその『良く分別された理想的なゴミ袋』に相応しい人物を追い求めるようになり、ついに東北地方でその人を見つけて一緒に暮らし始めるっていう話なんだ。
「お、後輩からラインが来たぞ。行こうぜ」
私は話し足りなかったが後に続いた。
後輩がコスプレしているのは外だった。スマホを片手に歩く友達の背を見失わないようついていくと、友達はある列の最後尾にて足を止めた。この列の先で件の後輩が写真撮影に応じているらしい。一体どんな奴がどんな格好をしているのだろう、私は首を伸ばして先を見た。
まず、後輩は女性だった。確かに友達は後輩の性別は言ってなかったが、てっきり男とばかり思っていたので驚いた。上下ともにゆったりとしたピンク色のコスチュームを着て、帯は赤で、白い紐で袖を後ろ手に結んでいる。肩ほどの髪のポニーテールで、彼女がポーズを変えるたびにぴょんと跳ねた。足元に豚とカオナシと湯婆婆のぬいぐるみ置いてある。彼女がカオナシを手に取って頬ずりをするようなポーズを取ると、赤らんだ頬がぷにっとし、その笑顔に向かってフラッシュが焚かれた。少しずつ列が進んでいくあいだ、私は彼女を眺め続けた。見とれたというより信じられないという気持ちの方が大きかった。目はちゃんと映像データを送ってくるのに脳がそれを現実の光景だと処理できていないという感じだった。目を疑うとはこういうことを言うんだな、と後になって私は思った。
すなわち私を待っていたものは、理想の女性だったのである。
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