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5
「ちょっと!なんで悪役令嬢が幸せになって、私がこんな目に合うのよ!おかしいでしょ!」
ハリエットだ。ハリエットは子リスのような顔を悪鬼の如くゆがめ、イリアを指さした。
悪役令嬢とはなんのことだろうか、そう思ったイリアと、同じことを思ったのだろう、イリアをかばうように立つアレクシスが問い返した。
「悪役令嬢?」
「そう、そうですアレクさま!この女は悪役令嬢なの!私をいじめた罪で、悪役令嬢イリアは国外追放!公爵家はおとりつぶしになる運命なの!」
ざわ……とさざめきが広がる。当然だ。明らかに自分より身分の高い相手を、こんな衆目のある場所で侮辱することは許されない。あまりにも異常な行動に、誰も理解が追いついていないようだった。
アレクは不機嫌な顔を隠そうともしない。それはそうだ。イリアを指した悪役令嬢という言葉――悪役、という枕詞があるならいい意味であるはずがない。10年のときを家族として過ごしたイリアがそうののしられて、いい気分であるはずがなかった。
どう見ても今のアレクに話しかけるべきではない。そのくらいアレクの苛立ちは大きかった。
あんな小動物のような令嬢が、今のアレクに立ち向かうなど無謀すぎる。きっとこの子はわかっていないのだわ、と思ったイリアは、アレクを止めるためにアレクの名をを呼んだ。
「アレク、おちつい――」
「黙りなさいよぼんやり女!私は今アレクと話してるの!」
「お前にアレクと呼ばれる筋合いはないな」
ああ――……。イリアはかわいそうなものを見るときのように、ハリエットを見つめた。
ごてごてとしたドレス、けばけばしい髪色、重たげなアクセサリー。
ただでさえそんな恰好をさせられ、晒上げられたのだ。恐怖で動転していてもおかしくはない。
だからかばおうとしたのに、こうなってはアレクは止まらない。
彼が一番大切だ、と公言するイリアを悪く言われたときのアレクは、イリアでも落ち着かせるのに難儀するのだ。
「そもそも、お前は先ほどイリアに攻撃魔法を使ったな。イリアほどの魔法の技量がなければ怪我をしていたはずだ」
「それ、は」
「見間違い、などという妄言が通ると思うな。目撃者はご丁寧にリチャードが集めたここの全員だ」
なあ、と言って、アレクは背後を振り返った。
高位貴族も下位貴族も、みなアレクの「イリア至上主義」っぷりを知っているので一様に首を縦に振る。
味方のいない――いいや、そもそも彼女の味方は最初からリチャード以外にいないのだが――ハリエットは、悔しげに歯噛みする。
かわいそうに……。アレクの糾弾は度を越している。見ていられなくて、イリアはアレクの頭を胸に押し付け、ぎゅっと抱きしめた。
「いい、イリア!?」
「アレク、わたくし、あなたをそんな血も涙もない冷血漢に育てた覚えはなくってよ」
声を裏返して叫ぶアレク。抱きしめてやるといつもこうやっておとなしくなると知っている。そうして諭すように言った。
イリアの言葉に、その場のイリアたち当事者を除く全員が「アレクシス王太子殿下はその血も涙もない冷血漢です!」という考えで心をひとつにしたのだが、当然イリアは気付かない。
イリアは知らないことだが、イリアのいないところでのアレクシスはイリアに重すぎる愛を捧げ、イリアにあだなすものを絶対に許さない、かつイリアにしか心を開かぬ氷のような貴公子として有名なのである。
というのはさておき、イリアはそんなクラスメイトたちの戦慄に気づかぬまま、アレク、と続けた。
「わたくし、攻撃なんかされていないわ」
「イリア、どうしてこんな奴をかばうんだ!」
いつのまにか姉と呼ばなくなった弟に、わたくしのためにこんなに怒っているなんて、とイリアは眉を下げた。
やさしすぎるのがたまに傷なのだ、この子は。
「攻撃なんて、そんな……だって、あんなに攻撃力の低い、そよかぜのような魔法が、彼女の全力であるはずがないじゃない。ハリエット嬢だって、この学園の生徒よ?全力を出して、ただ障壁を出しただけのわたくしの皮一枚すら焦がせないなんて……それがもし、もしよ?事実だとしたら、彼女は全力を出してもこの程度の魔法しかつかえませんと公言したようなものなのよ?そんな、恥をかいてしまうだけの行為をする人がいるなんて……本気で言っているの?」
「……は?」
「ああ、ハリエット嬢、大丈夫、大丈夫よ、わたくしはわかっていますからね。あなたがただ驚いてくしゃみをしただけだということを」
ハリエットが呆然とイリアを見つめる。
くしゃみ?本気で言っているのだろうか。あれは、ハリエットのまごうことなき全力だった。本気でイリアを殺すつもりで魔法をはなったのに、一度目は瞬きでかき消され、二度目はアレクシスによってかばわれた。二度目はともかく、一度目は偶然だと思った――思いたかった。
だって、もし、もしそれが、本当なら、イリアは、この女は、化け物のごとき魔法使いだと――自分など、指先一つで消してしまえる存在だということになる。
そして、それは同時に、イリア・トゥール公爵令嬢にとって、ハリエットなど塵芥以下の存在であると、そういうことになってしまう。
認めたくない――そう、思ったのは一瞬だった。
ね?とイリアが小首をかしげる。ぞっとした。この世界をゲームだと思っていた。
だから、この世界は自由になると――しかし、今目の前にいる女は何だ。婚約者からはないがしろにされ、邪魔な小娘が現れて――それを全部ひっくるめて許す女。慈愛なんてかわいらしいものじゃない、やさしいだけの人間?そんなわけがない。それができるのは、圧倒的な強者だからだ。
宝石姫――イリア・トゥール公爵令嬢――トゥール公爵家の愛すべき姫君。
そのきらきらしい名前が覆い隠していた事実が、今、ハリエットの前で明らかになる。
死、という概念が急に近いものになって、ハリエットは背筋に氷を落とされたような感覚に陥った。
「ひ――……」
じょわ……。水音がして、異臭がする。ぽたぽたとドレスの裾からなにかだ垂れ落ちるが、そんなことを気にする余裕はもはやハリエットにありはしなかった。
逃げなければ、と思った。どこへ、どこでもない、どこか遠くへ、この女のいないところへ!
「ハリエット嬢?」
「いや……いや……ごめんなさい、ごめんなさい……」
「大丈夫、大丈夫よ……?取り乱して……ああ、かわいそうに……」
イリアの伸ばした手を振り払う。衛兵に跪いたハリエットは、どうか私をとらえてくださいと泣きながら懇願した。
困惑する衛兵たちに、アレクが「連れていけ」と短く命じる。
怯えの理由を察したアレクは、もうこれ以上ハリエットを詰る理由を見つけられなかった。ゆえに、あとは法の裁きに任せたのである。
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