書く理由

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 今なら「星」になったアルの気持ちが分かる気がする。アルがいなくなってから私はたくさんの物語を記した。だけど、それらの物語は自分以外の誰かに知ってもらうことで初めて形を成す気がする。私の記した物語をアルに知ってもらいたい。  私は十分な時間この場所で待った。きっともうここに誰もやってくることはないだろう。  私も「星」になろう。「星」になってアルに会いに行こう。心は決まった。  光る泡のようなものが私の周りに漂っている。よく見るとその泡のようなものは私の体から出ているようだ。泡の数が増えるにつれて私の影は薄れていった。  アル、もうすぐ会いに行くね。  一瞬、まばゆい光が視界を覆ったかと思うと、私のいる場所は「月」ではなくなっていた。私の知らない景色が広がっている。ここは薄ら暗いようで淡い光に照らされていて、なんだか少しだけ温かい。  前方に誰か人がいる。あの後ろ姿には身に覚えがある。会いたくて止まなかった彼の姿がそこにあった。私はこの瞬間を長い間待ち望んでいた。 「アル!!」  嬉しさのあまり、自分から出るとは思えない程の声で彼の名前を読んでいた。長い間声を出していなかったせいで、思わず咳き込んでしまった。  アルは一瞬だけこちらの声に反応したような素振りを見せたが、私の方へ振り返ることはなかった。気づいていなかったのかな。そう思い、私はアルの方へ向かった。 「アル! 久しぶり! 会いたかったよ!」 「ああ……エルザ、久しぶりだね。やっぱり君もここに来たんだね」  彼の声は心なしか元気がなかった。それに、彼の体の線が少しだけ細くなったような気がする。 「アル。私はずっとあなたに会いたかった。あなたがいなくなってから、私は書く意味が分からなくなってしまった。それでも……こんな日が来ることを望んで、ひたすらにペンを動かし続けたよ。見て!」  私は持っている紙の束を彼の前に差し出した。 「すごいね。こんなにたくさん……。全部君が書いたのかい?」 「うん、時間だけはたくさんあったからね」 「本当にすごいね。少しだけ読んでもいいかな?」 「もちろん! そのために持ってきたんだから!」  私の物語に目を通している彼の表情はどこか悲しげだった。彼は一通り目を通したようだ。 「とても面白かったよ。本当に君はすごいよ。僕にはこんなに素晴らしいものは書けないよ」 「そんなことないよ。アルの方がすごいよ!」  その時私は偶然、アルの後ろに文字が連ねられた紙を見つけた。 「ねえ、それってアルが書いたの? よかったら読ませてくれない?」  私がそう言うと、アルはほんの少し頬を歪ませた。 「いや……これは、僕が書いたものだけど……」  彼が歯切れ悪そうに物を言う様子に私は何か違和を感じた。 「どうしたの?」 「いや、どうもしてないさ。どうぞ」  彼は何かを決めたように、私に彼が書いたであろう文字が記された紙を渡してきた。  記されている文字は確かにアル自身のもので間違いないのだが、何かが変だった。この話はどこかで読んだことがある。……ああ、そうか。これは私が「月」で読んだ本の内容と酷似している。どうして、アルがこんなものを持っているのか分からなかった。 「これは、本当にアルが書いたの?」  彼からの言葉は返ってこない。 「この内容、私が『月』で読んだものととても似ているの。どうしてなの?」  私の声は震えていた。 「少しだけ、昔の話をしてもいいかな?」  私は黙って彼の目を見て頷いた。 「僕が『星』になった時の話をするよ。僕は君と別れた後、すぐにここにやってきて、僕の作った物語を星々の皆に読んでもらおうとしたんだ。僕の書いたものがどんな風に思われるんだろうって、期待してた。初めは批判でもなんでもいいから、読んでもらってどんな反応をするのか知りたかったんだけど、そもそも僕の作る物語なんて、誰の目にも留まらなかったよ。誰かの目に留まったとしても、返って来る言葉は罵詈雑言ばかり。僕はこの場所に来て駄目になってしまった。『月』の中で一生過ごしていれば幸せだったとばかり思うようになった。僕は自暴自棄になって『月』で読んだ本の内容を紙に記し、誰かに読んでもらおうとした。どうせ誰の目にも留まらない文字たちだ、どうにでもなれ、と思ってね。それがよくなかった」 「アルフリックせんせーーーい!」  アルが話をしている最中、どこからかアルの名を呼ぶ声が聞こえた。アルと私が声のした方を向くと、男性が遠くからこちらに向かって叫びながら走ってきている。男性はあっという間にこちらにやってきていた。 「アルフリック先生、早く話の続きを書いてくれよ! 続きが気になって眠れねえよ!」  息を切らしながら男性はアルに話しかけている。 「ああ、分かったよ。できるだけ早く仕上げるようにするさ。済まないが、今は取り込み中なんだ。また、後にしてもらえるかな?」 「おっと、それはすまなかった! では、話を続き、待っている! それでは!」  まるで嵐が過ぎ去ったかのように、その男性はどこかへ走っていった。 「今のは? アルの知り合い?」 「知り合いというか、僕の作品の読者だよ。正確には僕の作品ではないけどね」 「先ほど見てもらった通り、僕はここで有名になってしまったんだよ。『月』にあった作品の模倣品で僕は名が売れてしまった。もう、後戻りはできなくなってしまった。だけど僕は『月』の作品を書き続けるなんて嫌だった。何度も何度もペンを止めようとした。それでも、やめることはできなかった。怖かったんだ、人に相手にされなくなるのは。ペンを止めると死んでしまう気がした。そして、今に至る。僕は誰でもない何者かになってしまったよ」  『月』にいた頃のアルの姿が頭の中に思い浮かんだ。あの頃の面影は今のアルには見出すことはできない。楽しそうに文章を書いていた姿はここにはなかった。 「すまない、エルザ。僕はもう行かないといけない。書き続けなくてはならない。君には今のまま文章を記していってほしい。僕のようにはならないでくれ。それじゃあ」  去っていく彼に対して、何を言ったらいいか分からなかった。  待ちに待ったアルとの再会がこんな形で終わるなんて思わなかった。もう、彼は誰かになってしまった。  この世界で本当のアルを知っているのは、私しかいない。  だからこそ、私がアルから貰ったものを忘れてはならない。空っぽだった私がアルに教えてもらったことをやめてはならない。  私はこの場所でも文字を記し続けよう。あなたの生き方を否定しないように。あなたを忘れないように。
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