月の君

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 シャトルが滑走路を走り始める。前の席に座っているアドリアナが、子供のようにはしゃいでいる。ハインツは、ケージに入れたフザンにしきりに話しかけている。フザンはおとなしくしているようだ。  月に行けるのをそれぞれに楽しんでいる二人の姿に、自然と口元がほころぶ。緊張していたのだと、それで気が付いた。  緊張するのは、久しぶりに月へ行くからだ。月世界政府となってからは、初めてだからだ。決して、月にいる誰かが、奇妙なほど気になるからではない。  楼希は小さな窓から外を眺めるのをやめ、目を閉じた。  上司と共に月を見上げた時からだろうか。あるいは、それよりもっと前からだったかもしれない。  あそこに、誰かがいる。ずっと会いたかった、誰かが。  そんな想いが、ふとこみ上げた。月旅行には行ったが、会いたいような知り合いはいない。それなのに、月にいる誰に、会いたいというのだ。誰が、そこにいるというのか。そもそも、誰なのだ、それは。  楼希はことさら強く瞼を閉じた。どうしてそんなことを考えるようになったのか、自分でも分からない。ただ、提供者が月にいるからだ、とは思いたくもなかった。  月側のターミナルは、地球よりも人がいた。火星往復船や、月の各都市へのシャトルが就航しているからだろう。 「わたし達、久しぶりの地球からの来訪者だから盛大に出迎えられるかも!?」  というアドリアナのはしゃいだ心配は杞憂に終わった。ゲートには、今回受け入れをしてくれる研究所の担当者が一人、迎えに来ていただけだった。  担当者の車に乗せられ、月面都市を移動する。アドリアナは目を輝かせて窓に張り付き、ハインツは、ケージから出したフザンに景色を見せていた。 「あの……研究所へ行くのでは?」  車は、街の中心部へ向かっているようだった。研究所は郊外だったはず。さすがのアドリアナも、少々不安げな表情になっていた。 「研究所へ向かう前に、寄って頂くところがあります」  そういう予定は事前に聞いていないが、文句を言える立場でもない。楼希達三人は顔を見合わせたものの、担当者のいうことに従うしかなかった。 「こちらで、お待ちを」  従うしかないのだが、まさか連れて行かれた先が、月世界政府の庁舎とは思いもしなかった。 「なんか、緊張するね……」 「ああ。でも、フザンも連れてきていいっていうから、まあお堅い話じゃない、だろ……?」  ソファに腰掛けているが、三人とも落ち着かない。フザンも、知らない場所で緊張しているようだ。  やがて、扉を叩く音がした。 「お待たせしました」  入ってきたのは、楼希達と同年代の女性と、楼希達をここへ連れてきた担当者だった。女性が向かいのソファの真ん中に座る。  楼希は、彼女から目が離せなかった。部屋に入ってきた時から確信していた。  彼女だ。彼女が『誰か』だ。 「初めまして。月世界政府の代表として、みなさんを歓迎いたします」  女性がにこりと笑う。アドリアナもハインツも、目を瞬かせた。楼希だけが、食い入るように彼女を見ていた。 「代表……というと、あなたが〈月の君〉ですか?」  ハインツが信じられないという顔で、恐る恐る尋ねる。彼女はにこにこと笑ったままだ。 「ええ、そう呼ばれている者です。名前は」 「……かぐや」  楼希はつぶやいていた。アドリアナとハインツが、驚いた顔で楼希を見る。 「かぐやだ。そうだろう?」  名前は、頭の中に自然と浮かんできた。いや、思い出したのだ。 「ええ、そうです。ずっと、あなたを待っていました」  かぐやは何もかも分かった顔で、微笑んでいた。
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