月の君

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 昔々のその反対、あるところにダイヤモンド婚を迎えた夫婦がいました。夫婦には子供がありませんでしたが、ダイヤモンド婚を契機にそれぞれ仕事を引退し、時間に十分な余裕ができたので、子供を持つことにしました。  平均寿命が百歳を大幅に越えたとはいえ、さすがに夫婦は高齢です。養子を迎えることも考えましたが、結局、第三者から卵子と精子を提供してもらい、人工子宮で育てることにしました。  そして十ヶ月後、夫婦は元気な男の子を授かります。夫婦はその子を楼希と名付け、大切に育てました。    ● 「楼希(ろうき)、どうしても行くのか?」 「……ああ」  荷物がたっぷりと詰まったショルダーバッグを肩に掛け、楼希は振り返った。年老いた両親の心配そうな顔が、そこにあった。 「大丈夫、ちゃんと帰ってくるから」  両親がなおも何か言おうと口を開く前に、楼希は笑ってそう言った。 「行ってきます」 「――行ってらっしゃい、気を付けて」  後ろ髪を引かれる思いで、楼希は家を後にした。    宇宙港のターミナルは閑散としていた。人影はまばらよりも少なく、窓口の多くは閉まっている。  七年前、両親のプラチナ婚記念に月まで家族旅行した時にはたいそう賑わっていたのが嘘のようだ。 「ロッキー、こっちこっち」  広い空間に、明るい声が響く。遠くからでも、小さな人影が大きく手を振っているのが分かる。バッグを担ぎ直して、楼希は急いだ。 「遅かったじゃん。一日待ったんだからね」  そう言う割に、アドリアナの表情は明るい。楽しみで待ちきれない、遠足前日の子供のようだ。 「しょうがないだろ。俺だけ日本出発だったんだから。それにそもそも遅れてない。予定通りだ」 「まあまあ、ロッキー。アドリアナは一人でも月に飛んでいきそうなくらいだったんだ。落ち着かせるのに大変だったんだぞ」  ハインツが楼希の肩を軽く叩く。その足下で、彼の愛犬フザンがしっぽをパタパタと振っていた。 「よう、フザン。元気そうだな」  楼希はしゃがんで、フザンの頭を撫でる。 「やっぱりフザンも連れて行くのか?」 「もちろん。向こうもいいって言ってるし」 「良かったねえ、フザン。楽しみだねえ、月に行くの」  アドリアナもかがみ、上機嫌でフザンを撫でくり回す。  楼希は立ち上がり、空中に投影されているインフォメーションを見上げた。表示されている出発便は、これから楼希達が乗る月行きの一便のみ。数ヶ月ぶりの、地球発月行きの便である。現在の天候は晴れ。これなら、予定通り出発できるだろう。
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