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1.不思議な出会い
私、東雲桜子は至って平凡な24歳のOLだ。
金曜の午後6時。仕事を終えた私は、自分の住んでいるマンションに帰ろうと、地元の商店街を歩いていた。
(明日はお休み……といっても、何も予定はないな。とりあえず、ミニバラの手入れと、お父さんから預かってる盆栽の手入れかな)
私の趣味は、マンションの小さなベランダでしているささやかなガーデニングだった。
友達にはそんな趣味だから彼氏ができないんだ! とからかわれるけど、私は人ごみの中デートするより、植物といる方が楽しかった。
桜子(恋をしたことがないわけじゃないけど……でも、またあんな思いをするのは嫌だし)
高校時代、密かに好きだった先輩と先月偶然街で出会った。
先輩はその時、左手の薬指に指輪をはめていた。
何気ないふりして話を振ってみると、ペアのリングを持っているのは、なんと私と同じ委員会にいた私と同じように目立たない同級生の子だった。
(……私には、きっと恋って向かないんだ……植物でも育てている方が性にあうよ。それに、私みたいな地味な女、きっと恋人にしたって面白くないし)
毎朝メイクをする度に、これはナチュラルメイクか、単に地味な顔に合わせた地味なメイクなのか悩む顔。
植物を育てるのが好きという、他人とのコミュ力も必要としない趣味。
そのどちらもが、人から好かれる要素になるとはお、思えなかった。
(そういえば、観葉植物用の栄養剤がもうなかったっけ……いつもの花屋さんも近いし、買って帰ろう)
私はいきつけの花屋さんへ向かうことにした。
花屋の店先を覗き込むが、いつもいる店長さんはいないようだった。
(そろそろ閉店時間だから、さっと買い物済ませないとね)
店員「いらっしゃいませ」
背後から声をかけられびくっとしながら振り返ると、一瞬女性かと思ってしまう程華やかな雰囲気の男性がそこにいた。
後ろで結んでいるとはいえ、髪が腰に届くくらい長いせいか、店のエプロンをしているのが妙に似合わない。
(初めて見るけど、アルバイトの人かな? まるで、モデルさんみたい)
男性の華やかな雰囲気に気後れしながら、店員さんに声をかけてみる。
「あの、店長さんは……?」
「すみません、店長は今買い物に出ていまして……何かございましたら私が承ります」
あでやかな微笑みを浮かべ、彼は私の言葉を待つ。
「えっと……じゃあ、観葉植物の栄養剤を……」
「こちらですよね、桜子さん」
彼は棚に並んでいるボトルの中から、私がいつも使っている栄養剤をさっと取り上げる。
「はい……って、え? なんで私の名前を……」
「ああ……驚かせて申し訳ありません。桜子さんのことは店長からいつもお話を伺っていますから。この店から買って行く植物を本当にかわいがってくれる、とてもいいお客様だと」
「そ、そうだったんですか……」
(いきなり美形に名前を呼ばれてびっくりしたけど……店長さん、私の事をそんなふうに思ってくれていたんだ……ちょっと嬉しいな)
人のよさそうな店長さんの笑顔を思い浮かべてクスリと笑う。
その時、床に置いてある鉢植えに視線が行く。
「そちらの鉢植え、気になりますか?」
「……見たことない感じのコだなって思って」
「さすが桜子さんですね。お目が高い。こちらはとても珍しい植物なんですよ」
店員さんはひざまずくと、その鉢植えを取り上げた。
「もっとよくご覧になってください」
「見たことのない葉っぱですね。外国のものなのですか?」
「ええ、現地では『願いをかなえる魔法の植物』……なんて言われているとかいないとか」
艶やかな濃い緑色の幅広の葉っぱが綺麗に放射線状に広がっているそれは、生命力に満ち溢れている感じがした。
「へぇ……綺麗な葉っぱですね。観葉植物っていうより、ジャングルから今持ってきました、って雰囲気」
「なるほど、そう思いますか。そうだ、桜子さん。この子を育ててみませんか?」
「えっ?」
いきなりのセールスに私は驚いてしまう。
店長さんは植物がないかと聞いたら教えてくれることはあったけど、むこうからこれはどうかと勧められることなんてなかったから。
「手間はほとんどかかりませんよ。太陽が良く当たる場所に置いて、土が乾いたら水をやればいいだけですから」
「えっ……でも……」
突然の提案に驚いて店員さんを見上げると、不思議な色の瞳が、じっと私を見つめていた。
「実はこの子はお店の商品ではないのです。私がためしに育ててみようと連れて来た子でして。でも、桜子さんのような方に育てて頂けたらこの子も喜ぶのではないかと」
謎めいた微笑みを浮かべて、店員さんは私の前に鉢を差し出す。
店員「いかがですか?」
ふわりと漂うハーブのような清涼感のある香りは、私の好きな感じの香りだった。
(すごく癒されるな……この香り……)
私の気持ちは、このコに完全に傾いていた。
「でも……いいんですか? とても珍しい植物なんですよね?」
「いいんですよ。この子も多分あなたの所に行きたがってると思いますし」(たしかに……このコには呼ばれてる気がするんだよな……)
植物を育てだして気づいたけど、植物を買う時、時々異様に引きがくる鉢がある。
同じ種類が並んでいるのに、何故かその鉢から目が離せなくなり、買う気がなくても結局そのコを連れて帰ることになる。
でもそういうコは大概よく育って、長く一緒にいてくれることが多い。
そんなオーラが、この鉢植えからも出ていることを私は確信した。
「……わかりました。じゃあそのコ、頂いていきます。おいくらですか?」
「いえ、お代はいりません。先ほど申し上げたように、商品ではございませんから」
「でも……」
「そうですね……ひと月、この子を無事に育てることが出来たら、その時またこの子をどうするかお話をしましょう」
店員さんは私にその鉢を譲り渡すことが決定だというように、カウンターに持って行く。
「ああ、そうでした。この子をお預けするなら、こちらもぜひお持ちください」
店員さんは作業道具の棚から、金色のじょうろを取り出した。
アンティークっぽい雰囲気の漂うそれは、インテリアにつかえそうな位おしゃれなじょうろだった。
「わぁ、素敵なじょうろ……」
「こちらのじょうろで水を上げて下さい。きっとこの子も喜びますよ。今お包み致しますから」
ビニールの手提げに葉が痛まないように鉢植えを入れると、店員さんは笑顔でそれを私に差し出す。
「どうぞ……末永くこの子をかわいがってあげてください」
「はい」
なんだか妙ないきさつだけど、お迎えしたからには、ちゃんと面倒をみないといけない。
「かわいがってあげたら、きっとあなたの願いをかなえてくれますよ……」
半月型に微笑む唇は、ひどく紅いような気がしてならなかった。
店員さんの鉢植えを渡す時の微笑みにぞくっとして、私はあわてて店を飛び出していた。
逃げるように店を出て、しばらく歩いてから、私はようやくあることに気付く。
「あ……栄養剤買い忘れた! まあいいか。明日また買い物に来よう」
私は鉢植えの入ったビニール袋と、何故かそのまま渡されたじょうろを持って家路を急いだ。
一旦鉢の入ったビニール袋を床に置いて鍵を開けると、自分の部屋のドアを開ける。
「ただいまー……って、誰も返事はしてくれないよね」
しんと静まり返った部屋に入ると、私はテーブルに持っていた荷物を置く。
「さて……日がよく当たる方がいいって言ってたけど、君は室内と屋外、どっちがいいのかな?」
ビニール袋から鉢植えを出しながら、私は話しかける。
よくわからないまま引き取ってきた植物だけど、新しいコが来る時はいつも胸がドキドキする。
(……こういうことにときめいてるから、恋人ができないって言われちゃうんだよな)
苦笑を浮かべながら、私は鉢のサイズにあったトレイを探してきて、テーブルに鉢植えを置いてみた。
トレイのサイズはちょうどいいみたいだ。
「とりあえず、今夜は窓際でいいかな? ここなら朝日がよく当たって気持ちがいいよ」
小さな出窓にそれを置いてみると、部屋の雰囲気にも合うような気がしてくる。
「夜だけど、土がちょっと乾いてるからお水あげるね」
私は一緒に渡された金色のじょうろに水を入れると、鉢植えの根本にそっと水を注ぐ。
小さく見えたじょうろは意外に水が入るらしく、半分ほど水をあげると、鉢の底から水がしみ出て来る。
「……まだお水余ってるな……」
私は窓を開けると、ベランダに置いてあるミニバラと、長期出張中のお父さんから預かっている松の盆栽にも水をあげる。
「さて、これでよし……っと! じゃあ私も自分のごはんにしようかな」
そんな何気ない私の行動が、後になってとんでもないトラブルの原因になるとは思ってもいなかった―――
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