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「クロスロードの靴」 77
駅前の喫茶店で待ち合わせをした。
かおりさんはひとりで現れた。僕は席を立ち上がってあいさつをした。かおりさんはお母さんの顔になっていた。
「大人になったわね。男らしくなった。恭介、もてるでしょ」
実はつき合っていた女性がいたと告白した。名前を訊かれ、瑤子と答えた。
「一緒にフランスへ行かないの」とか、尋問のように僕への質問が続いた。話し方があやねさんに似ていた。「断られました」と正直に打ち明けた。僕の近況報告が終り、約束の絵をプレゼントした。
「これが欲しかったの。私の大切な家族。この絵、大事にするからね」
かおりさんが感慨深そうにじっと見つめていた。かおりさんが優しく笑った。
「絵って、描く人の気持ちがでるのね。微妙な距離感が絵にでている」
なにを伝えようとしているのか、僕にはわからなかった。
「かおりさん、距離感って、遠近法のことですか」
「そうじゃなくて、恭介、りゅうに寄り添っている。やっぱり、りゅうが好きなのね」
「はい。好きです。かおりさんは誰が好きでした」
今になって訊いてはいけないことを訊いてしまった。
「あの頃は、好きな人と必要な人は別だったから。でもどちらも大切で、どちらも大事な人。比較なんてできない」
僕の期待した返事はごまかされた。隠す必要などないのにと不満に思った。どうして秀介さんから離れたのかと理由を訊いた。
「あの頃の私たちは秀介に甘えすぎていたの。人を頼ったり、人に甘えたりすることを全面否定しているわけじゃない。互いが寄り添い、助け合っていくことは必要なことだし、大切なことだと思っています。でも、相手が無理をして、体を壊したり、倒れたりするまで倚りかかるのは甘えすぎです。それでは支え合う対等ではありません。どちらかが重くなれば共に倒れてしまいます。だからあの時は秀介ではなく、りゅうを頼ったの。私たちは、誰もがみんなを心の家族なんだと思っていたから」
人の行為には必ず理由があるんだ。僕は素直に納得させられた。
今どこに住んでいるのかと訊きたくて、「今は」と言いかけた途中で、「今は幸せよ」とすべての質問を網羅した返答がされた。なにを訊いても、行き着く最後の返事が、幸せならばそれでいい。僕はそれ以上訊くことができなくなった。
「そろそろ帰ります。昨日、下宿先を引き払って直接こちらへ来ましたから。これから実家へ帰ってフランス行きの準備をします。来月にはフランスへ旅立ちます」
「そう。しばらく会えなくなるのね。寂しくなるね。落ち着けば手紙をちょうだいね」
「必ず手紙を書きます」
席を立つと、かおりさんが左腕をあげて、手の甲を見せてくれた。手首には三つのミサンガが巻かれていた。かおりさんの薬指に指輪が光っていた。瞬時に秀介さんの笑顔が浮かんだ。
「計算」、「誰が親でも」、「東京に行ってて」、「居て」じゃなくて「行ってて」か。
だからりゅうさんはこの町に引っ越したのか。なんだ、本当はりゅうさんも知っているんだ。知っているのに隠すなんて、りゅうさんも人が悪い。当然かおりさんも知っている。みんなで真相は話さないと決めたのか。「心の家族」という言葉が胸に染みこんできた。微笑ましい関係だと思った。
かおりさんの笑顔が眩しいくらいとても輝いて見えた。
「そうですか。よかったですね」
しばしの別れを惜しんで喫茶店を出た。かおりさんが駅までお見送りをしてくれた。
「恭介、がんばって」
あやねさんが、あの頃のみんなが、一列に並んで手をふっているように思えた。自然と笑みがもれた。
僕は彼らのエールを胸にして、旅立ちの改札口を抜けた。
物語と想い出が二翼となって大空を突き進んだ。
最後の頁を読み終えたとき、深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。
目頭が熱くなっていた。
僕は物語の最後に書けなかった秀介さんのことを思い出していた。
先日、秀介さんが電話をくれた。
「恭介、この前は会えなくてごめんな。話はりゅうやかおりから聞いたから。よかったな。好きなことを見つけて、それに向かって歩んで行くなんて、すごいことだと思うよ。これから苦労することもあるだろうけど、がんばれよ。もし、なにかあったらいつでも連絡をくれ。俺たちは、あの絵と同じように家族なんだから。それからいつでも戻ってこい。みんなで迎え入れるから。恭介、忘れるなよ。俺たちは家族だ。じゃあ、身体には気を付けてな」
秀介さんの言葉を聞いて涙がこぼれた。
みんながいてくれたからこそ自分を見失わずに生きてこられた。
人生に目的を持つ勇気を与えてくれてありがとう。
夢をみつけられるまでそばにいてくれてありがとう。
ほんとうにありがとう。
僕はがんばるから。
あきらめずにがんばるから。
いつかまた会える日を楽しみにして。
ふと窓に目を向けると、白光りする雲が浮かんでいた。
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