「クロスロードの靴」 56 「手紙」

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「クロスロードの靴」 56 「手紙」

 この手紙を孫のお前たちに送ります。  お前たちがひとりであって、ひとりでないことは、のちに妻から打ち明けられて知りました。幼き頃の出来事も含め、妻から聞かされたときは驚きを隠せませんでした。ですから、まず伝えなければならないのは、お前たちに対する謝罪の言葉になります。お前たちが私の家に来たとき、ずっとそばにいさせてやれば、あんなことにはならなかったと、今でも私は後悔をしています。お前たちを一度でも手放したことを申し訳なかったと思っています。ばかな老人を許してくれ。事故後、しばらくしてお前たちに保険金が支払われました。金額は一億円です。人の命はお金にかえられないが、多額の金額であることは確かです。残された者の生活というものがありますからね。長男の賢一はお金に目がくらみ、お前たちを引き取ると言ってきました。それで申し訳ないがお前たちを引き渡すことになりました。賢一はお前たちのためにお金を残すでもなく、自分の家を建て、贅沢な生活をして、残金はわずか五分の一まで減っていました。確かに大学生活の仕送りは私が意見して賢一から出させました。考えてみれば、お前たちの成長に使うお金であることに間違いはないのだから、当然と言えば当然の権利です。それなのにちゃんと残してやれなかったことは申し訳ないことをしました。新築した家にはお前たちの部屋も用意されていましたが、小学生の頃と同じ様な過ちを繰り返してはいけないと考え、お金よりもお前たちの居場所を優先して、同居の申し出を拒否しました。お前たちのことは、大事に、大切に思っていたからこそ、私たちは手放せなかったのです。この判断が間違っていたのか、正しかったのかは、お前たちにしかわからないことだと思います。もし間違っていたならば、愚かな祖父母を許して欲しい。私たち夫婦はお前たちを愛していました。としや君は物静かで勉強熱心な子です。言葉遣いも丁寧に話します。りゅう君は空手を習わしたこともあって、活発で元気な子です。言葉遣いは少々乱暴なところもありますが、私たち夫婦には親しみ深いものを感じていました。としのぶ君はまだ幼くて、かわいい盛りです。車のおもちゃが好きで、いつも庭で遊んでいましたね。妻の膝元で甘えるときは、妻はとても喜んでいました。あきと君はとても絵が上手でした。ただ何事も自分が悪いと、いつも自分の存在を責めていましたね。それだけが心配です。君はなにも悪くないのですよ。悪いのは君のそばにいた大人たちです。これ以上自分を責めないでください。私と一番長く時間を過ごしたのは、りゅう君、あなたです。あなたが、じいちゃん、じいちゃんと言って懐いてくれたことは、本当に感謝しています。温かい時間をくれてありがとう。もっと、ずっとそばにいることができたなら、どんなに幸せなことか。こんなことを書けば、私も寂しいのですよと妻に叱られそうです。しかしそうも言ってられなくなりました。そろそろ逝かなくていけないようです。もっと一緒にいて君たちの成長を見届けたかったのですが、私にはもう時間がありません。私も、妻も、君たち一人ひとりが好きです。最愛の孫たちにこの言葉が伝えられたならば、私の人生は幸せでしたと最後に言えるでしょう。死に際になってこのような老人の戯言を伝えたことをお許しください。  追伸。この手紙が病中閑話として君たちに届けられたことをうれしく思います。  野島源造より。  涙が手紙にこぼれていた。  じいちゃん、最後に会えなくごめん。生きているときに行けなくてごめん。許してくれよ、じいちゃん。ありがとう、じいちゃん。安らかに眠ってくれ、じいちゃん。  りゅうさんは手紙を握り締め夜を泣き明かした。
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