「クロスロードの靴」 61

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「クロスロードの靴」 61

 どういうことだよ、この手紙は。一方的にお別れ。そんなこと有り。どうすればよかったの。なにがいけなかったの。わからないよ。涙がとめどなく噴き出していた。秀介さんの体が沈んだ。  時間の感覚を忘れていた。力なく起き上がり、洗面所へ行き、涙で汚れた顔を洗い流した。はっと気づいて、りゅうさんの家に電話をした。しばらく鳴り続けてからりゅうさんが電話に出た。秀介さんは早口で伝えた。 「りゅう、かおりとあやねがいない」 「どうした、買い物か」  事情も知らないりゅうさんがのんきな声で答えた。 「そうじゃない。二人がこの家から出て行った。りゅう、お前、どこへ行ったか知らないか」 「知るわけないだろ。それよりも本当なのか」 「ああ、書き置きがあった」 「内容は、手紙にはどんなことが書かれている」 「出て行くって」 「それだけか」 「うん。そんなことだよ」 「悪いけど、今日はじいちゃんの部屋のことでいろいろあって、どうしてもすぐには帰れない。夜遅くになるけど、必ず帰るから。それまでもう一度心当たりのある場所を考えて捜してくれ」  心当たりのある場所などあるかよ。まてよ。喫茶店。そうだ喫茶店に行ってみよう。次は病院だ。それからイルミネーション通りかも。和食のお店も。可能性は低いけど、行くだけでも行ってみよう。秀介さんは急いで部屋を出た。  十八時過ぎに秀介さんが帰って来た。りゅうさんは帰っていなかった。もう思いあたる場所はない。考えてみれば、この部屋以外に想い出などほとんどなかった。これじゃあ牢獄じゃないか。  秀介さんは自分たちの城を非難した。  一時間後にりゅうさんが現れた。秀介さんが一日中捜し回った場所を時系列に伝えた。 「もういいじゃないか。ほっとこうぜ」  りゅうさんがぽつりと言った。秀介さんがりゅうさんをじっと見つめた。秀介さんの問いかけに力が抜けていた。 「どうして」 「あいつらが考え抜いて決めたことだろ。あいつらの自由にさせてやろうぜ」 「自由って、別に束縛(そくばく)していたわけじゃないよ」 「そう言う意味じゃない。好きなようにさせてやろうぜって意味だよ」 「好きなようにって」 「あいつらの門出だから、引き止めるなって言ってるんだよ。いい加減わかれよ」 「門出って、どこへ向かうつもりだよ」  「知るかよそんなこと。あいつらの人生なんだから」 「そんな言い方をしなくても」 「じゃあ訊くけど、お前は自分の将来をどう考えてるんだよ。夢はあるのか。仕事はなにをするつもりだ。言ってみろよ。ほら、言えないだろ。お前は自分の道を歩いてなかったってことだよ」 「じゃあ、りゅうはあるのか」 「俺はとりあえずここを出て、じいちゃんの家で暮らすことに決めたから」 「お前まで急になにを」 「急じゃないよ。入院中ずっと考えてたことさ。どっちにしても、もうすぐこの部屋を出て行かなきゃならないだろ。ちょうどいいじゃないか。俺も自分の生きる道をやっと見つけたのさ。だからお前も自分の進みたい道を見つけろよ」 「僕はみんなと暮らしたいだけさ」 「それを世間ではなれ合いって言うのさ。それだけじゃあ、社会では通じないだろ、生きてけないだろ。もっと大人になれよ。仲良しクラブだけじゃなく、他人に誇れるものを見つけろよ。秀介、お前を見ていると、お前には自分っていうものがないだろ。少なくとも誰にも伝わってないよ。それをあやねやかおりが感じたからじゃないのか。俺はそう思うよ」  意志を持って離れていく人をつなぎ止めることなどできるわけがない。りゅうの言う通りだ。考えれば自分には誇れるものなどなにもなかった。目的もなければ、目指す道もない。自分も痛みを感じながら裸足で歩いていた。秀介さんはうなだれるしかなかった。  一週間後にりゅうさんが引越しをした。  寒気に閉ざされた人気のない部屋で過ごす一日は、時間の流れを感じさせなかった。コップを置く音さえ、深閑な森で木を叩くように響いて聞こえた。ここはまるで血の気のない部屋だ。  秀介さんは立ち上がり、実家に電話をかけた。
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