21人が本棚に入れています
本棚に追加
/77ページ
「クロスロードの靴」 74
読み終えて本を閉じた。かおりの歩みがこの詩集に綴られていた。
レジカウンターで本を差し出した。
「本日は著者のサイン入りがございますが、そちらの方をご用意いたしましょうか」
店員さんから親切に勧められた。もちろんサイン本をお願いした。
本を買うとき、体中に痺れを感じたのは初めてのことだ。友達が好きな作家の新作を手にしたとき、体に痺れる感覚を味わうと大げさなことを言ってたけど、こんな感覚なのだと理解できた。早く家に帰ってゆっくり読みたい。
本を携えてお店を出た。親子が前を通り過ぎた。目を疑った。
「かおり」と呼び止めた。かおりが立ち止まって振り向いた。
「秀介、びっくりした。久しぶりじゃない。どうしてここに」
「仕事の帰りにちょっと本屋に寄っていこうと思って。それでこの詩集があってさ。驚いたよ。かおり、すごいよ」
「そんなにほめないでよ。照れるじゃない。やっと一冊出版できたばかりなのに。スタートラインに立っただけ。これからが私のがんばりどころだから」
「それでもすごいよ。早速家に帰って読もうと思っていたんだ」
「ご購入ありがとうございます。ほんとに秀介とみんなのおかげ。ありがとね。ところで、秀介は、今なにをしているの」
「こんな僕でも人の役に立てるかもしれないと思って、今は介護の仕事をしているよ。僕の夢は誰かの役に立つことだから」
「秀介らしいわね」
かおりのスカートを掴んでいる女の子に気づいた。結婚したのか。そうか。目を下へ向けた。座り込んで女の子と目の高さを合わせた。かおりの背後に隠れようとした。
「この子、人見知りをするのよ。たまにスカートの中に隠れようとするから、もうびっくりしちゃう」
「そうか。お名前は」
「あかね」
恥ずかしそうにして答えてくれた。見上げてかおりに顔を向けた。
「私とあやねさんを重ね合わせた名前にしたの」
「そうか。いい名前だね。あかねちゃんはいくつ」
あかねちゃんが指を三本立てた。ふと誰かに似ている気がした。
「私に似てかわいいでしょ」
「かわいいよ。将来美人になるね。あっ、今でも美人だな」
かおりがにっこり笑った。かおりが腕時計を見た。
「今日はサイン会を開いてくれたから出て来たのよ。少し時間が延びちゃったけど。おかげで秀介と再会できた。二重の喜び。ごめんね。ゆっくりしたいけど遅くなるから」
「あっ、そうだね。ごめん。帰りを止めて。じゃあ、すぐ家に帰って読むよ」
「あとがきもちゃんと読んでね。伝えてあるから」
頭をさげてかおりが背を向けた。手をつないで二人の背中が小さくなっていく。かおりの右手とあかねちゃんの左手。あかねちゃんの右手と僕の左手。かおりの右手と僕の左手がつながっているような想像をしていた。
記憶が薄くなっているけど懐かしいことを思い出した。
幼き頃の写真。面影が少し似ているような。もしかして。
僕は二人を追いかけて走り出していた。
「まあそんなことがあったわけだ」
りゅうさんが話を締め括った。僕はあとがきを読んだ。
最初のコメントを投稿しよう!