「クロスロードの靴」 74

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「クロスロードの靴」 74

 読み終えて本を閉じた。かおりの歩みがこの詩集に綴られていた。  レジカウンターで本を差し出した。 「本日は著者のサイン入りがございますが、そちらの方をご用意いたしましょうか」  店員さんから親切に勧められた。もちろんサイン本をお願いした。  本を買うとき、体中に(しび)れを感じたのは初めてのことだ。友達が好きな作家の新作を手にしたとき、体に痺れる感覚を味わうと大げさなことを言ってたけど、こんな感覚なのだと理解できた。早く家に帰ってゆっくり読みたい。  本を携えてお店を出た。親子が前を通り過ぎた。目を疑った。 「かおり」と呼び止めた。かおりが立ち止まって振り向いた。 「秀介、びっくりした。久しぶりじゃない。どうしてここに」 「仕事の帰りにちょっと本屋に寄っていこうと思って。それでこの詩集があってさ。驚いたよ。かおり、すごいよ」 「そんなにほめないでよ。照れるじゃない。やっと一冊出版できたばかりなのに。スタートラインに立っただけ。これからが私のがんばりどころだから」 「それでもすごいよ。早速家に帰って読もうと思っていたんだ」 「ご購入ありがとうございます。ほんとに秀介とみんなのおかげ。ありがとね。ところで、秀介は、今なにをしているの」 「こんな僕でも人の役に立てるかもしれないと思って、今は介護の仕事をしているよ。僕の夢は誰かの役に立つことだから」 「秀介らしいわね」  かおりのスカートを掴んでいる女の子に気づいた。結婚したのか。そうか。目を下へ向けた。座り込んで女の子と目の高さを合わせた。かおりの背後に隠れようとした。 「この子、人見知りをするのよ。たまにスカートの中に隠れようとするから、もうびっくりしちゃう」 「そうか。お名前は」 「あかね」  恥ずかしそうにして答えてくれた。見上げてかおりに顔を向けた。 「私とあやねさんを重ね合わせた名前にしたの」 「そうか。いい名前だね。あかねちゃんはいくつ」  あかねちゃんが指を三本立てた。ふと誰かに似ている気がした。 「私に似てかわいいでしょ」 「かわいいよ。将来美人になるね。あっ、今でも美人だな」  かおりがにっこり笑った。かおりが腕時計を見た。 「今日はサイン会を開いてくれたから出て来たのよ。少し時間が延びちゃったけど。おかげで秀介と再会できた。二重の喜び。ごめんね。ゆっくりしたいけど遅くなるから」 「あっ、そうだね。ごめん。帰りを止めて。じゃあ、すぐ家に帰って読むよ」 「あとがきもちゃんと読んでね。伝えてあるから」  頭をさげてかおりが背を向けた。手をつないで二人の背中が小さくなっていく。かおりの右手とあかねちゃんの左手。あかねちゃんの右手と僕の左手。かおりの右手と僕の左手がつながっているような想像をしていた。  記憶が薄くなっているけど懐かしいことを思い出した。  幼き頃の写真。面影が少し似ているような。もしかして。  僕は二人を追いかけて走り出していた。 「まあそんなことがあったわけだ」  りゅうさんが話を締め括った。僕はあとがきを読んだ。
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