2.結婚前夜

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「気まぐれで姿を消されるのも困るけど、君が誰かのものになるのはもっと耐えられない。結婚すれば君は僕のものだ。ずっと手放さないつもりだからその覚悟はしておいて」  穏やかな笑顔とは裏腹に、綿谷の声は身体をぎゅっと縛りつける。息苦しいけれど心地よくて、ずっと酔っていたい響きだ。  まぶたが熱くなってうつむくと彼はカウンターから出てきた。そっと手を伸ばし、私の前髪をかき分ける。 「まだ何か、未練がある?」  私は身を固くした。彼は何でもお見通しだという調子で心の中に入ってくる。その度に身構えてしまう自分がたまらなく嫌だった。 「悪い、遅くなった」  黒いジャケット姿の武が入店した。髪はいかにも社会人らしく短いのに、目だけは学生の頃と変わらない。 「すっげえいい匂い。まだ試食やってんの?」  彼は私の隣に腰かけると、無遠慮にステーキを頬張った。 「ちょっと、それ私のだけど」 「いいだろ別に」 「いいわけないでしょ」  腕をぎゅっとつねると彼は小さく叫んだ。隣に座る綿谷が苦笑いをするが、武はお構いなしだ。 「綿谷さん、明日のメニューは決まりましたか?」 「うん、これで最後だね。なんとか間に合いそうだよ」  武は「そりゃよかった」と言いながら全部食べてしまった。幼い頃からの知り合いとはいえ遠慮がなさすぎる。  同期生に「あのさ」と声をかけられて私と武が同時に振り返った。その拍子に肩が当たる。武は「悪い」と立ち上がったが、私は何も返せなかった。  ただ、触れた肩が熱い。 「……用が済んだなら帰ってもいいですか」  私がつぶやくと、綿谷は目を丸くした。 「ああ、明日は朝が早いしね。送って行こうか?」 「小雪と一緒に帰ります。明日はよろしくお願いします」 「はい、よろしくお願いします」  私の調子に合わせて彼も頭を下げた。付き合って一年も経つのに敬語が抜けないことを咎めもしない。  明日から共に暮らすこの人にどう寄り添えばいいのだろう。答えの出ない問いはずっと頭の中で回っていた。
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