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世界は暗転し。憂鬱な朝が私に襲い掛かってくる。この瞬間が訪れるたびに私は疑問を抱いてしまう。なぜ、ここまで残酷なことが現実なのか。世界のルールなのか。
別に、夜が来た後に、朝が来ない日があっていいじゃないか。窓を開いた瞬間、『今日は雨かぁ』ってなるように、『今日は夕暮れかぁ』みたいに、もっと適当でいいじゃないか。
そんな世界だったら、まるで創作のように自由だったらよかったのに。
体を起こすと、一枚のカンバスと目が合った。
「そっか。まだ白塗もしてなかったのか……」
もし、この部屋の中に誰かがいたら「何を当たり前のことを言ってるんだ?」と叱ってくるかもしれない。
作業を進めていないのは私がさぼりつつけているせいだ。夢遊病なんか患ってないし、この部屋に妖精はいない。目を離しているすきに作品が出来上がっているなんてファンタジーはないんだ。
カンバスの真後ろの机。その上のスマホを拾い上げる。いつの間にかスマホ依存していた。だから、朝一番にいつもスマホを触ってしまう。それを防ぎたくて、朝一番に絵のことを考えるようにしたくて、カンバスの後ろの机に置くようになった。
結局進まない絵を見て、憂鬱になってすぐさまスマホに飛びつくようになった。
しかし、今日はすぐにスマホを手放してキッチンに向かった。歯磨き粉を付けた歯ブラシを口に突っ込むと、カンバスの前まで行って椅子に座り、向かい合った。
表情はだんだんと情けないものになっていく。
書きかけの絵画。琥珀色の湖畔がそこにはあった。
改めてみると粗末な絵だ。手前と奥行きを意識すればもう少し見栄えが良くなるし、琥珀色の湖が悪目立ちせず、逆に色彩表現として程よい意味を作ってくれるだろう。
広がる山々にしてもそうだ。山を塗ってどうする? 山って橙色じゃないだろ? 山じゃなくてそこに生い茂る木々の葉。その葉っぱ一枚一枚が集まって秋の情景を作り出すんだ。
技術的に言えば、もっと細かく様々な色を重ねて山に秋を作り出していけばいい。
あと、欲を言えば人物が欲しい。奥行きもなく、色も単調。そのせいかぱっと見ですぐ飽きてしまう。いっそ、椅子に座る女性でも書けば、この奇怪な景色が『女性を思う男の心情』を表すといったイメージとしての奥行きも出てくるだろう。
一通り、酷評を頭で描き。その後口を濯いだ水道水とともに吐き出した。今思ったことに意味はない。
この絵の作者はすでに筆を捨てているからだ。
カレンダーの今日の日付に×をつける。どうせ、今日も何もせずに終わっていくことは分かっている。
「あとひと月になったなぁ」
ぺらりとカレンダーをめくり翌月。そこには黒いマッキーで星印がつけられている。県立の美術館が毎年開催する公募大賞の期限となっている。
芸術の秋となれば各所で様々なアートコンクールが開催される。全国区のものもあれば、ポスターなどの企業の公募、地域的なもの。
自分の身の丈に合ったところに作品を提出するのが常だろう。しかし、ここの公募大賞は違う。作品が出そろった後の一週間、集まった作品は館の一角で展示される。
そして、この展示中にある人物がやってくるのだ。現代の日本では珍しいというかもはや伝説。近代ヨーロッパ時代の芸術を支え続けた、なくてはならなかった存在。『パトロン』。
富裕層がお気に入りの画家を発見し、支援するといった文化が存在する。その『パトロン』と呼ばれる存在が、この展示会に姿を現すのだ。その名はミセス・フジノ。
有名画家のパトロンは少なからず存在するが、無名の画家を支援するパトロンであるミセス・フジノはもはや都市伝説のようなものだ。でも、存在はしている。
正体は不明だが、大企業の社長の愛人説が有力とされている。まぁ、そこらへんはいい。このミセス・フジノは日本だけではなく世界の有名美術館・コレクター・マニアとコネクションを持っており、ひとたび彼女の評価を得られれば十年は画家として生きていける。そんな伝説がある。
だから、将来が不安な画家志望の学生たちはこぞってこの公募大賞に作品を出す。目指すは大賞ではなく、一人の女性を堕とすこと。
私もその一人だった。
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