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でも、思い出せない。大事な部分が。
それを思い出すために、私は友をこの夢に呼んだのだろうか。
どうして、私はカンバスを白に塗りつぶしたのか? あの瞬間に掛かってきたのは誰からのどんな着信だったか。
そして、完成した作品は『美しい』のか。
この琥珀色の夢よりも、『美しい』のか。
こんな美しい世界を塗りつぶして、私はどんな傑作を書いたのか。無意識に期待してしまう。自分はミセス・フジノに認められる作品を書けたのか? 私はこの作品で画家になれるのか?
友の絵を、世界を壊して。私は傑作を完成させたのだろうか?
この天井に見える緑黄色の世界は一体どんな景色なのだろうか。
――私は目覚めるべきなのだろうか?
思い出せる。
私は作品を完成させた。
絵具はもう乾ききった。
目を覚まして発送すればギリギリ期日に間に合うはずだ。
それなのに、こんなに不安になる。
――何が待っているんだ?
起きて、私が見る絵は一体どんな一枚なんだ?
自分の才能を確信できる一枚か? それとも現実を見るべきだと、友と同じ道を歩ませる一枚か。
朝起きた瞬間の私は、頭の中が真っ白でいつも純粋な心で絵を見ていた。だから、無性にムカムカしたのだ。あんなヘタクソな絵に一瞬でも感動する私に。
あの感動を今起きた、その時にも味わえるのか?
でも、これまで私は苦しんでいた。起きるたびにあの絵がなくなってしまったことに苦しんでいたはずだ。
琥珀色の水の中。
私は、泣いていた。
涙は泡となり水上に浮かんでいく。
もう、いっそ。目覚めたくないとさえ思える。
――つらい思いはもう、したくない。
「怖い、怖いんだ友よ。君はなぜ筆を捨ててしまった。こんな美しい作品を置いて行ってしまった。なぜ、なぜ私を見捨てた? あぁ。友よ。下手な絵しか描けず、されど己の世界を表現するために、その絵に向き合い続けてきた人よ。一体、私は君を追い越していたのだろうか? 追い越されていたのだろうか?」
怖くて、怖くて。仕方がないんだ。
自分の知らない自分の作品。
あの日の朝私は思った。夢遊病じゃないし、妖精なんかいない。勝手に絵が完成するわけないと。
でも、私は今その状況にある。勝手に恋した世界をつぶして勝手に完成した、誰でもない私の作品。そんな現実がこの幸福な夢の先に待っている。
こんなに起きるのが恐ろしい夢があるだろうか?
泡となった涙はなおも琥珀の水の中をゆれて浮かび上がっていく。
もういっそこの夢の中に溶け込んでしまいたいと思う。この琥珀の底に身を委ねて、何も考えずに揺蕩っていたい。それって、とても素敵なことじゃないか。
――次に絵を書くならそんな絵を書こう。
急に世界が大きく揺れ始めた。そして、体が浮かび始める、浮かぶというより上昇だ。無理やり引っ張り出されるような感覚。
――あぁ、そうか。もうすぐ起きないといけないのだろう。そういえば、寝過ごさないようにタイマーをセットしたんじゃないか。
最初っからこの目覚めたくないって思いは無駄だったわけか。
無力のまま起こされるんだ。それが現実なんだ。
「嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ!」
もはや美しき世界は崩れ去り、真っ暗な闇の中に吸い込まれていく。口を動かすこともできず、ひたすらに駄々を捏ねるように頭の中で叫んだ。
崩れる世界の中、なぜか平然とどこかへ飛んでいく影を見た。友は、何の憂いもなく、「じゃあな」というように、いつもの別れのように手を振って遠くに消えていった。彼は、黄金を手放したんだ。
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