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第1話 日常
「行ってきます」
リビングの環菜に声をかけると、俺は9月の晴れ渡った空の下、ロードバイクを思いっきり漕ぎ出した。
宇宙の果てまで突き抜けるような青い空。 自転車を漕ぎながら四国山脈の稜線を見ていると、ふと涙がこみ上げてくるのは何故だろう。 俺の通学はいつも叙情的だ。
駅前の、かつては商店街と呼ばれた通りを駆ける。 今は全ての店にシャッターが降りている。 父さんの若い頃はそれなりに賑わっていたらしいけど、俺が物心つく頃にはこの有様だ。
芹沢市の人口は3万5千人程の小さな街。 昭和60年の5万人をピークに、減少の一途だ。 今や高齢化率は40%を超えている。
有名な観光地も無ければ、これといった産業や特産品もない、シケた田舎町。 この前ニュースで見たけど、税収減で、5年後には財政再建団体に転落するらしい。 20年後には、地図から名前が消えてても不思議じゃない。
シャッター街を通り抜けると、田舎には似つかわしくない、建設中のビルが見えてくる。
財政破綻寸前のはずなのに、建設費80億円かけて、市営の巨大複合施設を作っているらしい。
図書館やスポーツジム、観客席まである体育館に、温泉付きのデイサービスセンターも完備。 おまけに5千人の客席があるステージまで作るとのこと。 こんな田舎でどこのアーティストがコンサートを開くというのだろう。
でかい建築現場の横を通る度、俺の街は資金難なのか潤っているのか、訳が分からなくなる。
この大きな箱物を造ることで、きっとどこかの誰かが得をするんだろう。 今日も社会は、俺の知らない所で、知らない大人達の手によって動いている。 俺は高校3年生にして、近頃ようやく政治というものが分かってきた。
5分ほど芹沢駅前で時間を潰した後、相良川方面へ自転車を走らせる。 日本百名川にも数えられる大河は、今日も雄大に、蕩々と流れている。
横風に吹かれながら中央橋を渡っていると、背後から声が飛んでくる。いつもの聞き慣れた声だ。
「おい新太、俺を放っていくなんて随分 薄情じゃないか」
声の方を見やると、幼なじみの風間 賢斗が、ふて腐れた顔でペダルを漕いでいる。
「バカ、賢斗。 今日も駅前で5分待ってたんだぞ。 しょうがないから、今日は一人で芹沢市の未来と、政治について思いを巡らせながら通学してるんだ」
賢斗は特に興味もなさそうに答えた。
「へえ、それは勤勉なこった。 まぁ学校まで残り10分、堅っ苦しい話は抜きにしようぜ」
「へいへい」
この賢斗という男、ギリギリ白波高校に入れた俺とは違って、学年で成績上位40名だけが入れる特進クラスに籍を置いている。
時間にはルーズだが、学業は優秀だ。
「賢斗、お前さ、受験どうすんだ? やっぱ県外の有名大学受けんの?」
「さあな……最近辛い事が有り過ぎて、頭こんがらがってる。 新太、お前は?」
「俺も決めかねてる……別に夢とか無いし、大学か、就職か、まだ分からん」
「そっか」
他愛もない話をしながら校門を抜け、自転車置き場にロードバイクを止めると、玄関まで一緒に歩を進める。
賢斗が下駄箱を開けると、一瞬表情が硬くなった。
「どうした?」
賢斗の下駄箱を覗き込むと、ラブレターが入っていた。
「うわっ、ラブレターじゃん。 先週も貰ってたよな? 相変わらずモテモテだね~」
そうなのだ。 賢斗は頭脳だけじゃなく高身長のイケメンで、サッカー部のエースなのだ。 神はこいつに一体幾つのギフトを与えるのか。
しかし賢斗はラブレターに目もくれず、無造作に鞄に詰め込んだ。
俺は少々驚いた。
「おいおい、嘘でもいいからもっと嬉しそうにしろよ。 仮にも18歳の、健全な男子高校生だろ?」
「ああ、とてもありがたいね、俺なんかに好意を抱いてくれて。 でも生憎俺はとても一人の女の子にはしぼれないし、今は到底恋愛する気分にはなれないな」
賢斗は深く溜息を着くと、俺に背を向け、特進クラスの方角へ廊下を歩いていった。
持つ者には持つ者なりの気苦労があるというのだろうか。
何も持たざる俺は、3-1の教室のドアを開いた。
今日もまた、平穏で怠惰な一日が幕を開ける。
俺は幼なじみの賢斗以外には、これといって深い仲の友達はいない。(もっとも賢斗の方は、男女問わず人気者だが)
友達がいないというとオーバーかもしれないけれど、周囲とは薄く広く、必要最小限のコミュニケーションを取る程度だ。
でも最近何となく、その最低限のコミュニケーションさえ、苦痛に感じる事が増えてきたように感じる。
不思議と、自分とクラスメイトの間に、見えない隔たりみたいなものがあるのだ。
以前は何ともなかった当たり障りのない日常会話さえ、億劫に感じられる。
決して虐められたり、無視されてる訳じゃないが、何となく、周囲が俺に気を遣っているのが分かる。
そんな時俺は専ら、寝たふりをするか、読書に耽っている。 まあ、読書なんてこれっぽっちも趣味じゃないから、内容なんて頭に入ってこないが。
昔から一人でいること自体は嫌いじゃないし、むしろ心地良いとさえ思える。
でも不思議なもので、大勢の中に一人でいる時には、妙に孤独を感じてしまうのだ。
5時間目が終わった後、休み時間ふと窓の外に目をやると、賢斗が珍しい男と歩いていた。
あれは3組の有名人、瓜原 鉄夫。 通称「ウリ坊」。
可愛い渾名とは裏腹に、嘘か誠か、奴は中学時代、校庭に乱入してきた猪に突撃し、絞め殺したという逸話がある。
あの金髪モヒカン・牛がしてるようなでっかい鼻輪、額の古傷に、筋肉質な巨躯を見たら、あながち噂とも言い切れない。この田舎の平和が売りの白波高で一際異彩を放つ、不良のヘッド。
そのウリ坊が、特進クラスの賢斗と肩を並べて、一体どこへ行こうというのだろう?
俺は嫌な胸騒ぎがして、教室を飛び出し、奴らが歩いて行ったであろう先へ向かった。 恐らく二人は体育館裏にいる。
俺の予想通り、ウリ坊と賢斗は、誰もいない体育館裏で対峙していた。
「あれっ、新太?」
賢斗が俺に気づいた。
「誰だぁ? そいつは。 風間ぁ、テメェが呼んだのか?」
鋭い眼光で睨み付けるウリ坊に、思わず足がすくむ。
「お、俺は1組の佐久間 新太。 別に賢斗に呼ばれてきた訳じゃない、偶々見かけて、追いかけてきたんだ。 お前等一体何するつもりなんだ?」
俺は恐怖で声が上ずってしまった。
賢斗は事も無げに言う。
「なぁに、こちらの瓜原くんに、俺のクラスメートの何人かがお金を強請られててね。 それを止めてもらうために、ご足労頂いたのさ」
「おい風間ぁ、変な言い掛かりは止してもらおうか。 誰がそんな事お前にベラベラ密告ったんだ? 教えてくれよ」
苦笑しながら賢斗が答える。
「そんな事バラしたら、お前への上納金が倍額になっちゃうじゃないか。 勘弁してくれよ」
ウリ坊は不敵な笑みを浮かべる。
「ハハッ、お前がそいつら全員分をまとめて肩代わりしてくれても構わねえんだぜ? そしたら今日からカツアゲは止めてやるよ」
賢斗も負けじと笑った。
「畜生に払う金は無ぇよ、イノシシ野郎」
「何だとコラァ! ブッ飛ばすぞテメェ!!」
ウリ坊の怒鳴り声が体育館裏に響き渡った。 俺は全身に電流が走ったような衝撃を受け、思わず仰け反ってしまった。
しかし当の賢斗はヘラヘラしていた。
「プッ、見ろよ新太。 人間ってのは一発目にカマすやり口が、そいつの中で一番成功率が高い手段らしいぞ。 こいつは怒鳴るのが成功体験だったみたいだな」
「あ!? 何だと!? 意味分かんねーよ、殺すぞ!!」
ウリ坊は顔を真っ赤にして尚も叫ぶ。
ビビッている俺をよそに、賢斗は更に続ける。
「そうやって大きい声で威嚇したら、今まで何とかなってきたのか? あ?」
賢斗は嘲笑と侮蔑の入り交じった眼差しで、ウリ坊を挑発している。
俺が呆気に取られていると、頭に血が上ったウリ坊が、ついに賢斗に突進してきた。
「だったらこの鉄拳でボコボコにしてやるよ!!」
「待てぇぇええコラァアア!!!」
信じられない事に、咄嗟に叫んだのは 何と俺だった。
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