115人が本棚に入れています
本棚に追加
0
「社長、どうぞこちらへ」
秘書の真壁が、どこか嫌悪感を滲ませながら素早く車のドアを開けた。
まるで、何かから聖の注意を逸らそうとしているかのようだ。
「雨が降り出しそうです。せっかくのお召し物が濡れては……お早く」
「車なら関係無いだろう」
分かり易い真壁の態度に苦笑しながら、聖はその背後へ視線を向けた。
するとそこには、無頼漢のような男が路上にべったりと座り込んでいた。
物乞いか当たり屋か?
きっと、高級車が停車したのを良い事にタカろうとしたのだろう。
どうやらその目的を達成する前に、真壁に一発喰らったらしい。
幸いなことに、人通りの無い薄暗い路地だったので、目撃者はいないようだが。
「……真壁。正当防衛にしても、一般人相手にマズいんじゃないのか」
「ただの、質の悪い酔っぱらいです。相手にするだけ無意味です。さぁ、どうぞ」
後部座席へと誘う真壁に頷き返しながら、聖は車内へと身体を入れようとしたが。
「――holy」
微かな、本当に消え入りそうな声が、聖の鼓膜を揺らした。
その声に、聖の足はピタリと止まる。
「社長?」
「……」
「どうしました? お早く――」
「今夜は送らなくていい。おまえはこのまま引き上げろ」
突然の命令に、真壁は驚いた。
だが聖は、強い声で命令を下す。
「車はお前が使え。明日、また連絡する」
「しかし、聖さんっ」
困惑したような真壁を、聖はキッと睨みつける。
有無を言わせぬその碧瑠璃の眼差しに、真壁は不承不承といった様子で従った。
走り去る車を見送り、聖はゆっくりと視線を路上へ戻す。
最初のコメントを投稿しよう!