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「みんな、銭湯は好きか?」
某県。某市。某小学校。四年三組の教室。朝の朝礼で、担任の山田先生は良く通る声でそう言いました。
「せんせー。銭湯ってお風呂の事?」
クラスの人気者、一ノ瀬君が先生に問い掛けます。
「ああそうだ。みんなの歳なら行ったことのある奴の方が少ないかもな」
先生は少し寂しそうな顔で言いました。
「せんせー。銭湯って面白いの?」
クラスのお調子者、二藤君が先生に問い掛けます。
「ああ、面白いぞ。日本人は昔からお風呂好きであることは有名だが、銭湯はただのお風呂としてだけでなく、「社交場」としての役割も果たしてきたんだ。「裸のつきあい」という言葉があるように、年齢や職業を超えての会話ができる場、という文化的な一面があるわけなんだ。昔は東京都内だけで3000軒近くあったそうだが今ではわずか600軒ほどらしい。時代の流れとはいえ寂しい限りだ」
先生は感極まった顔で目頭を押さえます。甘いマスクの山田先生の所作一つ一つに、女生徒たちは黄色い歓声を上げます。先生もまんざらではなさそうです。
「でもせんせー。こんなネットやSNSで誰とでも繋がれる時代。わざわざリアルで対面するのは非効率ではないですか?」
クラスの切れ者、三橋君が先生に問い掛けます。
「確かに、ネットの普及で、人と人は簡単に繋がれるようになった。でもな、簡単に繋がれるイコール心の距離が縮まるというわけではないと思うんだ、むしろ昔より今の方が他者との心の距離は遠くなったのかもしれない」
先生はなんだか哲学的なことを言っています。私はその内容の半分も理解できませんでした。私はあまり頭が良くなかったのです。
「じゃあせんせーは人に会いに銭湯に行ってるのかよ?」
クラスの荒くれ者、四宮君が豪快に先生に問い掛けます。
「まあ、それもあるな。だけどそれだけじゃない。先生はその“場”を楽しみに行っているんだ。銭湯とは総合芸術なんだよ。昔ながらの宮造り構えの外観。チップタイルで描かれた富士の壁画、様々な趣向を凝らした風呂の数々。上げ出したらキリがない」
先生は良く通る声で、熱く語り続けます。とっくに一時間目開始のチャイムは鳴っていましたが、みんな授業を受けたくないので、誰も指摘はしませんでした。
「じゃあせんせーは銭湯でなにをしている時が一番楽しいの~?」
クラスの粗忽者、五味君が先生に問い掛けます。
「そうだな。色々あるけど、やはり一番は覗きだな」
先生は、今日イチ興奮した様子で言いました。その姿に私は少し狂気じみたものを感じました。
結局先生は一時間目をまるまる潰して銭湯の話を熱く、それは熱く語りました。クラスはライブハウスのように大いに沸きました。
山田先生の話はとても面白かったので、わたしは晩御飯のときにパパとママに今日の話をしました。それはそれは詳細に内容を話しました。それほどわたしは山田先生の話に、銭湯に魅せられていたのです。
でも何故かパパとママの顔は険しさを増すばかりでした。私には理由がわかりませんでした。
後日、学校で保護者会が開かれました。
結果として先生は学校に来なくなってしまいました。
そして二度と戻っては来ませんでした。
あれから十数年。大人になった私の趣味は銭湯通いです。私を銭湯の良さに目覚めさせてくれた先生に一言お礼が言いたいのですが、あの日以来先生には会えていません。
数日前に男の人が覗きで逮捕されるというニュースを見ました。
その男の人は何だか先生に似ていた気がします。
逮捕されるときにその男の人はこう叫んだそうです。
「やっぱり銭湯は最高っ!」
おしまい
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