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 殺意に満ちた恫喝をきっかけに、一方的な沈黙がとうとう破られる。 「煙草……」 「ん?」 「煙草を、死に際の一本を恵んでくれ。  ライターと一緒に、俺のコートに入っているはずだ」 銘柄物のコートは断りなく剥がされ、無造作に隅の方へ丸めてあった。 煩わしそうに顎を動かすザデット。 無言の指示を受けた工作員が、速やかにアニエの望みを叶えた。 「ありがたい」 這いつくばるアニエの醜い格好を乞食に重ね、 ザデットはわざとらしく眉を(ひそ)める。 「両手が不自由で果たして吸えるのかい?」 この直後、彼は想定外の奇行に目を疑うこととなる。  出し抜けにアニエが首を反らし、咥えていた煙草を垂直に放り投げた。 それは緩やかに滞空したのち、左腕にきつく絡んだ縄へ着地する。 手枷の半分が独りでに柔らかく(ほど)けた。 「これで片手が使える」 もはや操り人形と化した工作員が、すかさずアニエを射程圏内に捉える。 「舐めた真似を……! だがな、近付かなければ術も効くまい」 「あんたらにほとんど隙が無いのは確かな事実だ。  でも俺は、常に隙を見せてくれる唯一の人間を知っている」 揺るぎない視線は、工作員による包囲網を縦横無尽に掻い潜り、 ザデットの心臓を一点に貫通する。 「俺自身だ」 アニエが人差し指に中指を併せ、満身の力でこめかみに突き立てた。
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