1/5
57人が本棚に入れています
本棚に追加
/228ページ

 うんともすんとも言わない若い女性を前に、太郎店長と僕は途方に暮れていた。初対面だから、もちろん名前も知らない。30分ほど前に僕の乗った自転車と衝突した女性だ。  いや、正直になろう。衝突、というのはあまりにも自分に都合のいい表現だ。責任回避は無意味だ。僕には失うものなどもう何もないのだから。弱冠ハタチ、今年21歳で、未来への展望ってものがまったく見えなくなってしまった。それが現在の僕。今の雇い主である太郎店長がその点をどうとらえているのかについては、僕には今ひとつ見えていない。  話を戻そう。では、衝突でなければなんだったのか。  彼女は新御堂筋(しんみどうすじ)の歩道のどまんなかで寝転がっていた。今朝、つまり昭和58年7月最後の日曜日の、今日もクッソ暑くなること確実の快晴の朝、8時半少し前のことだ。  路上に横たわる人体に気づかなかった僕が、そこに自転車ごと乗りあげた。それが真実だ。  ただし、僕もその直後、派手に転倒した。いつもより早い出勤時間に少し焦り気味で、いつもより少し早いスピードで、いつもより少し大きなカーブを描いて路地から飛び出した。つまり百パーセント僕の過失。  でも、ちょっと考えもみてほしい。大阪でも有数の大通りの歩道で、朝っぱらから大の字になってる人がいたんだ。しかも妙齢の女性がひとり。まあ、大の字だったかどうかは視界に入っていなかったから確実ではないが、法律違反ではないにしろ、常軌を逸した行為であるには違いない。自転車で路地から大通りに出ると女の人が寝ているかもしれないから気をつけましょう、なんて誰にも教えてもらっていない。みんなそうだろう。
/228ページ

最初のコメントを投稿しよう!