しし座流星群の夜

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死んだって、なんだよ――。 階段を降りながら頭を力任せに搔きむしると、抜けた黒髪が指の間と爪の隙間に挟まった。 「だって、ちゃんと身体もこうしてあるだろ」 僕の両手はちゃんとある。胸に手を当ててみると、鼓動だって感じられる。 でも、もし死んでたとしたら、この鼓動も幻覚みたいなものなのか? 「くそっ!」 息が苦しい。空気の通り道に蓋がされたかのような苦しさに、肩が大きく上下する。 大声を上げながら無我夢中で振り回した腕に、テーブルに置かれたティッシュの箱が勢いよく壁にぶつかって落ちた。 幽霊だったら、こんなのもすり抜けてしまうものじゃないのか? 「そうだ。そうだよ。幽霊にこんな事できるわけないだろ」 ふっと表情が緩んだ僕の頭に、ひとつの言葉が浮かび上がる。 ポルターガイスト 今の状態はまさにその言葉そのものなのではないか。 「くそっ、くそっ――」 奈央子と結婚するつもりでここに住み始めたんだぞ。 両親が離婚して、ろくに帰って来ない母さんに代わって母親代わりに育ててくれた婆ちゃんと暮らした家に。 「今はまだ大きな式も挙げられないけど。お金をためて、必ず良い家に引っ越そう」 そう言ったら奈央子は 「なーに言ってんの。この家で充分だよ。颯太が育った家だよ。颯太とお婆ちゃんをずっと守ってくれた家じゃん。まぁ、老朽化でどうにもならなくなったら考えようよ」 その笑顔を見て、僕は決めたんだ。 兄妹も同然に育ったこの子を、一生守っていく。 ずっとこの笑顔を絶やさないように。 「そう、決めたんだ……」 台所の水切りラックに置かれた包丁の刃を、左の手のひらに押し付ける。 何でだよ…… 「なんでっ――」 いくら手入れがいき届いていない包丁だって、ここまですれば血くらい出る。 なのに。 「なんで、なんでだよ!」 包丁を床に叩きつけ、傷のひとつもつかない手で何度も、何度も、壁を殴った。 殴っても、叩いても、テーブルの脚にぶつけても。 痛みすら感じない。 「くぅん」 三郎が僕の顔を覗き込むように、首を傾げて尻尾を振っている。 「三郎」 呼びかけると、ちゃんと僕の声に反応してその場でジャンプし、くるりとその場で一周。 「三郎には俺が見えるんだな……」 豊かな栗色の毛を撫でてやると、嬉しそうに目を細め、ひっくり返って腹を見せる。 三郎を撫でるスーツの袖口から、時計の文字盤が覗いている。 壊れた時計には大きな端から端までの亀裂を中心に、八方にいびつな形でヒビが走っていた。 「八時、二十四分……」 ざらりとしたガラスの上から、ぴくりとも動かない時計の針を撫でるようにそっと触れる僕の指が僅かに透けていた事に、ようやく気が付いたのだった。
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