第一話 二週間前

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 学校の帰り、配布プリントを担任から預かって透子の家を目指した。思い立ったら動かねばと張り切ってしまったけど、透子の家が近づいてくると緊張して、手が汗ばむ。  いきなり家はハードルが高かっただろうか。  引き返そうかとも思ったけども足は止まらなかった。もうプリントを渡すと先生に言ってしまったし、ここであきらめてしまうなんて情けない。それにここを逃したらもうこんな機会はないような気がした。  田んぼのなかに数軒の家がならんでいる。田んぼをつぶして建てたのだろう。こんな田舎には不自然なくらいきれいで新しい洋風の家だ。その中の一つの家の前に、見覚えのある鉢に見覚えのある赤い花が咲いていた。何年かぶりだったけど透子の家に迷わずこれて安心した。  一度、深呼吸をして、チャイムを鳴らした。通信が始まる時のわずかな機械音がする。 「紀ですけど、透子いますか?」 「紀……、 えっ、ちょっとまって」  勢いよく扉が開いたと同時に出てきたのは透子だった。 「広大! 本当に?」  かなりびっくりしたようで透子は目を見開いたまま停止する。 「今日、学校休んでたから、お見舞いに。ついでにプリントととかも持ってきた」  透子はかなり動揺した様子で、目が見たこともないぐらい泳いでいる。だけど、俺が来たことを嫌がってるようには見えなくて安心した。 「はい、みやげ。これ、好きだっただろ」  自分のなかにある緊張だとかを見ないようにして、できるだけ普通に、四年のへだたりなんて忘れてしまった、というように振舞った。来る途中、コンビニで買ったデザートをビニール袋ごと差し出す。透子は戸惑いながらもそれをそっと受け取って中を覗いている。中身は小さい頃よく一緒に食べたヨーグルト味のフルーツゼリーだ。 「うん。好き」 たかがゼリーに、透子は予想以上に嬉しそうにはにかんだ。来て良かったと、ここまで運んでくれた自分の足をほめる。 「元気そうだけど、どこか体調悪いの?」  まだどこか夢見ごこちな透子は学校の体操着でめずらしく長い髪をポニーテールにしていた。まるで走りにいくかのような格好だ。顔色はいたって良く、見た目で悪そうなところはない。疑念の目線を送ると透子は目に見えて焦りだした。 「やっ、違うの。ぜんぜん元気なんだけど。ちょっと用事というか、えっと」  透子は意味もなく手を動かしては、しどろもどろに言葉を吐く。軽くパニックになっているらしい。 「落ち着いて」 「あっごめん。えっと、とりあえず、立ち話もなんだから、どうぞ?」  招き入れられた透子の家に入るのは、ずいぶんと久しぶりだった。記憶とあまり変わりない風景のはずだけど、まるで初めて来る家みたい見えた。それが自分の視線の位置のせいだと気づいて時の流れを強く感じる。 「部屋はわかるよね。なにか飲み物もっていくから上がっといて」  見舞いに来たんだからそんな気遣いはいらないと思ったけども、どう見ても元気なようだ。断って口論になるのも予想できたので言われたことに従う。  確か二階の右の部屋だった。階段を上がると、その右の部屋の扉は開きっぱなしだった。それどころかクローゼットや様々な引き出しも開けっぱなしだ。それに足の踏みどころもないぐらいものであふれかえっている。記憶の中の透子は潔癖ぎみの綺麗好きだったので面食らってしまった。よく見るとクローゼットの中は空っぽだ。 「ごめん。掃除中だったんだ」  部屋の前で突っ立った俺をみて透子は急いで部屋の中に入っていった。焦るあまり持っていた盆を落としそうになったのでそれを受け取る。 「ありがとう。えっと、ここ座って」 そう言って、とりあえず大きな荷物を脇に寄せ二人分の床を空けた。 「さっきからなんかごめんね。来てくれてありがとう」 「いや、なんか取り込んでるみたいだから、逆に迷惑だったな」  あんまり部屋を見回すのは失礼だとわかっているけど、顔が動いてしまう。黄ばんだ生地のぬいぐるみの横に型崩れのない帽子など、新旧のものが無造作に散らばっていた。見覚えのあるものとないものが重なって横たわっている。 「迷惑じゃないよ。なんか広大と話すの久しぶりだね」 「あぁ、本当に」 「昔に戻ったみたいでうれしい」 透子はそう笑った。昔と変わらない笑顔。それにいっきにこころの中のわだかまりが解けていく。 「俺も、うれしいよ」 「よかった」  本当によかったと透子がとびっきりの笑顔で笑う。はずかしくなって目を逸らしたけど、俺も本当に嬉しかった。透子が俺にこういう風に笑いかけてくれることがこんなに簡単だったなら、もっと勇気を出して早くに話しかければよかった。今日、ここに来て本当に良かった。 「広大が家に来るのも久しぶりだよね」 「あぁ、小学校以来……いや、おじいちゃんの葬儀の時以来か」 「そうだった。あの時、広大がいっぱいはげましてくれたね」  透子の親は共働きで日中は家にいないことが多い。夕方になると帰ってくるし二人とも気のよく優しい人だけど、小学生は帰宅時間が早くて寂しいものだ。けれど透子には祖父がいて、透子はおじいちゃん子だった。  その祖父は6年前に亡くなって、透子はえらく泣いてしばらくご飯も食べられなかった。当然といえば当然の悲しみだけど、このまま衰弱して死んでしまうのではないかと思うほどにひどかった。今はある程度、踏ん切りはついたらしいけど、おじいちゃんという言葉にすこし沈んでしまった。 「広大は今まで本当に支えになってくれたね」 「そんなことない」  苦々しい顔をしていると自分でわかる。本当に支えになれていたら、話すのが久しぶりだなんてことにはならない。 「そんなこと、なくないよ」 「どうした?」  なんだか様子がおかしいようで声をかけたけど、透子は何もいわずに首を振った。あらわになった透子の白い首は折れそうなぐらい細い。  なんとなくきまずくて視線が宙に浮くけども、部屋もせわしなくておちつかない。
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