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「まぶしいな。いつまでここいるつもり?」
夏もだいぶ終わりなので日が短くなっている。それでも高校生にしては遅い時間とはいわないけども、ここら辺は暗いとあまり治安がよくない。
「真っ暗になるまで」
「親、心配しないの?」
「今日はよそで食べるって言ってきた」
透子はそれっきり黙ってベンチに座ってしまって、あんまりうるさく言うのも良くないかと、俺も黙って横に座る。ゆっくりと落ちていく太陽はきれいで、ひどく感傷的だった。真っ赤な太陽は追い立てられてどんどん沈んでいき、直に見えなくなったけど、わずかな余韻であたりは青く輪郭がにじんでいる。
急に透子が立ち上がった。靴と靴下を脱ぎ捨てて海に走り出す。もう人がいなくなった海で一人蹴り上げた水は、ばしゃばしゃと大げさな音を立てた。最初は浅瀬で遊んでいるだけで傍観していたけど、透子はスカートを持ち上げて奥へと進もうとした。
「待て、透子、どこまで行く気だ」
俺は急いで靴を脱ぎ捨てて、追いかけた。脱ぎ忘れた靴下と膝下のズボンが海に入ったとたんに水を吸収する。
俺の大声で振り返った透子は目を点にした。
「どこまでもいかないよ。私が泳げないの知ってるでしょ。スカートがぬれない範囲だとぎりぎりここまでだね」
今度は俺が目を点にさせる番だった。途中で脱げてしまった靴下が波に浮かんでいる。それを見て透子が指さして笑った。怒る気も失せて浮いた靴下を引っつかみ沖に向かう。
「もう、帰るぞ。夜の海はあぶないしな」
「そうだね。帰ろうか」
透子は最初から海に入る気でいたらしく、タオルを持ってきていて足を拭いて靴を履いた。俺もたのんでタオルを借りたけど、濡れてしまったズボンと靴下はどうにもならない。ズボンを巻くって靴下を手に持つ。
「大丈夫?」
「あぁ、ちょっと気持ち悪いけど」
格好としては間抜けだし、裸足に革靴が気持ち悪い。ぬれたズボンで足は冷たいけど、もうなんだかいっそすがすがしかった。
完全に暗くなって、堤防脇の電灯が心もとなく浮くように光っていた。吸い込まれそうな夜闇はなんとなく心を不安にさせる。
透子はその暗さに何も感じないのかゆっくりとタオルをしまっていた。
「透子、本当に帰るぞ。遅くなるとチンピラがわくし」
ゆっくりと俺の目を見る透子の目はこの空を写したように真っ黒だ。その目が俺とあった瞬間に頭が重いとでもいう様に傾いだ。
「帰るって切ないね」
堤防の急な階段をのぼる。あまりに暗くてこころもとなくて手をつないだ。そのまま二人、堤防沿いを歩く。
「広大、道、反対じゃないの」
「送るよ」
「広大が危ないよ」
「じゃあ、自転車貸して。明日返すから」
「わかった」
「濡れたらごめんな」
「そんなの、すぐ乾くよ」
たあいもない会話は心地いい。ぽつりぽつり話す。絶え間はあっても、つないだ手の気恥しさはあっても、あまり気まずいとは思わなかった。幼い頃こうして歩いた過去があったからその関係性に戻った。でも、完全にあの頃に戻ったわけじゃない。あの頃はもっとお互いの顔を見て歩いたし、つないでいる手をこんなに意識していなかった。
「ねぇ、実は休みの日も行きたいところがあるの」
透子がつないだ俺の手をぎゅっと握った。ゆっくりとしまる指。
「じゃあ、ついてく」
「ありがとう」
しまった指の力は徐々に抜けていく。もしかしたら無意識なのかもしれない。
「土曜日学校、昼までだから、二時に駅で待ち合わせ」
たあいもない話をしながら、田んぼの中を歩いてく。のんびりした足取りだったけど透子の家が見えてきた。
家の前まで来ると透子は荷物を門に掛けてガレージに入った。
「あっごめん自転車の鍵、家だ。取ってくるから待ってて」
透子は小走りで家に入った。そんなに急がなくていいのにと言おうとしたけど、もうすでに家の中だ。そもそも、歩いて帰っても別にかまわないのだけど、折角の好意なので黙っておく。
騒がしく家の戸があいたと思ったら透子と透子の母親が一緒に出てきた。この前、家に来たときは会えなかったから透子の母親と会うのも本当に久しぶりだ。
「あら、広大くんじゃない。久しぶり」
「ちょっと、お母さんはいいから、中はいってて」
「いいじゃない。なんで隠したのよ、せっかく送ってもらったのに。中、入ってもらったら」
急いでたわりに、出てくるのが遅いなと思ったら、母親と言い争っていたらしい。
「お久しぶりです、おばさん。お言葉に甘えたいのですが、今日はもう遅いので帰りますね」
「まぁ、えらく好青年になって」
俺と母が話しているのが気に食わないというよりも恥ずかしいのだろう。透子から乱暴に鍵を渡された。鍵についた鈴が俺の手の上でなった。
「もういいから。はい、鍵」
鍵を受け取って自転車にまたがった。自転車は明るい水色で自分が乗るには恥ずかしいかもしれない。ガレージから出たところで透子に手を振る。母親にからかわれたのか拗ねた調子だったけど親子そろって手を振ってくれた。そのそっくりな様子に笑いそうになった。この親子は実は仲が良いのだ。
自転車で生ぬるい風を切って漕いでいく。ちりちりと鳴る鈴の音が聞こえた。
来た道を戻っていく。通ってきた堤防の横をさっきとは違い早いスピードで駆け抜けた。風は手を冷やしていくけど、それでも暖かいような気がした。
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