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プロローグ
俺は昔からあまり占いだとかおまじないだとかは信じないほうだった。当たるも八卦、当たらないも八卦、というように話の種にでもなればそれでいいと思っている。よくある朝の星占いだって1位でうれしいと思ったときも12位で悲しいと思ったときも「いってきます」って言って外に出たらもう忘れてしまっている。
だから今までたびたびトピックにあがり騒がれる世界滅亡の予言も、あまり信じていなかった。予言があろうがなかろうが日本はそもそも地震大国であり、いつだって危ない。ましてや、この地域は山にも海にも囲まれていて予言があるときだけの緊張なんてこっけいなことではないか、と思ったが、2週間後に迫った世界滅亡の予言におびえ、今、目の前で死を迎えるための準備をする少女には、そんな馬鹿なという軽口をたたける雰囲気はなかった。
「透子、もうそろそろ休憩しよう」
「もうちょっと奥に行ってからね」
ここは青々とした木が生い茂る山の中だ。人が通って道になるというのを表したような山道を俺と透子は歩いていた。一応、登山道らしい山道は歩けば歩くにつれてだんだんハードになっていく。
もうすでに結構歩いてきたのに、なぜか元気な透子は前をさくさくと歩いていた。俺は自分の額を流れていく汗を拭った。そろそろ休憩しないと後がつらいだろう。今年は珍しく冷夏だった。夏はもうほぼ終わっていて、毎年のように更新されていた最高気温は破られずに終わりそうだ。それでも、まだ涼しいと口が利けるものではなく、汗は流れ出るし、水分を取らないと熱中症が怖い。
やばい、あつい、とうわごとを繰り返すけど、透子は聞こえてるのか聞こえてないのか無視だ。
だんだんと斜面が緩やかになってきた。小さな地蔵が並んでいる開けた場所に出ると透子が振り返る。パッチリした目がすこし吊り上がる。
「もう、だらしないな。休憩」
透子はそのまま地べたに座って、背負っていたリュックからペットボトルを出し、のどを鳴らしながら水を飲んだ。透子は高校ではたしか部活には入っていない。中学で陸上を走っていた時から多少ブランクがあるはずなのに、今日はとても元気に張り切っていて、疲れを感じずイキイキしている。俺は運動ができないというわけではないけども、今は気力の差か、完全に負けている。
「透子がやる気すぎるんだ」
弁明をしてみたけど透子には無視されてしまった。
木々が揺れて、冷たい風が吹いた。汗が風にさらされる。
「広大、チョコ食べる?」
「チョコもってきたの? 溶けるじゃん」
「でも、山といえばチョコでしょう」
「それは雪山の話、もしくはもっと高い山の話だ」
いくら涼しくてもチョコにとっては地獄のような気温で文句をつける。透子はおもむろに新しい水筒を出して蓋を開けた。中から一口に包まれたチョコが保冷剤と一緒に出てきた。
「文句があるならあげないよ」
「いや、とってもほしいです」
透子がそんなへまをするわけなかったと謝罪しチョコを受け取った。口に入れたとき一瞬冷たいチョコはすぐに溶けて甘い余韻を残した。
「どこまで進むつもりだ」
水筒をリュックに入れた透子に聞く。
「どこまでも」
透子のポニーテールに結われた長い髪が風に揺れた。きれいな顔で透子は笑う。
透子の口調は冗談なのか真剣なのかつかめない。昔からそういうときもあったけど、ひどくなっている気がする。
「山はどこまでもないよ」
「知ってるよ、海にでるまで。昔、男の子たちがよく遊んでたあの崖まで行こう」
透子は立ち上がって土を軽く払った。
その時、かすかに学校のチャイムの音が聞こえた。小さい頃に通っていた小学校のチャイムの音だ。今はいったい何の時間だろうか。少ない科目がとても懐かしい。
音は学校で普通に授業が送られているという知らせだ。そう、今は平日の真昼間だ。
透子は音の方向をしばらく見てから、さっきまでとは違った弱々しい声をだした。
「ごめんね。つき合わせちゃって」
「別に。もし、本当に予言通りに世界が滅びるならなら、俺にとってもいい思い出作りだ」
なんでもないと笑って見せた。透子の緊張が少しだけ解ける。
数日前までは普通に学校に行って、普通に過ごしていた。まさか自分が平日に、小さい頃よく遊んだ山を、疎遠になっていた幼なじみと登っているなんて思いもしなかった。
クラスメイトたちは今この時間、みんな授業を聞いているのだろう。俺は不良じゃないけど、サボることにそこまで罪悪感を感じてない。むしろまじめな優等生の透子の方が重大なことに違いない。
「俺を誘ったこと、後悔してるの?」
「……」
透子は何も、言わない。
「俺は、うれしかったよ。久しぶりに透子と話せて。学校をサボるなんて、赤信号をわたるぐらい小さなことだ」
「それは小さくないよ。ちゃんと守ろう」
黙り込んでいた透子は顔をあげてそう怒った。俺もそうだな、と言って笑った。
こんな風に透子と笑いあうのは久しぶりだった。普通の会話がとても嬉しい。
休憩を終えてまた、山道を歩き出す。傾斜はだんだん急になって、汗を噴出しながら足を運んだ。潮のにおいがかすかにすると思ったら透子が走り出した。
「海だー。広大! 海だよ!」
透子は一人ではしゃいで声を上げていた。
「わかった、わかった」
俺はそれを軽くいなしてゆっくりと追いかける。俺の家の2階から海は見えるし、その上、父親は漁師だ。海なんて何の珍しくもない。
透子の家から海は見えないかもしれないが、余裕の徒歩圏内だったはず。それでもあまりにも楽しそうなので、水を差すのはやめといた。
「そんなにはしゃぐと転ぶぞ」
「転んだら、助けてね」
透子は明るく声を張って言った。
二人で崖の前に並ぶ。崖の端を靴でこすると砂が海にこぼれ落ちていった。粒はあまりに小さくてすぐに目で追えなくなってしまった。
海の底は深いらしく、重い色をしていた。恐怖を感じる高さだ。たまにこの崖から落ちて亡くなった人の話を聞く。
「海きれいだね」
「そうか? ちかくに工業地帯あるし、そんなにきれいじゃないだろ」
「海はひとつだよ。どこがじゃなくて、海自体がきれい」
よく晴れた天気で海はたっぷりの光を反射してピカピカと光っていた。
「なんで、人って海が好きなんだろう」
「別にみんながみんな好きじゃないと思うけど」
現に俺はそんなに好きでもない。けれど透子が鼻の頭にしわをよせて抗議してきたので、あわてて取り繕った。
「先祖が海から来たからじゃないか」
「そんなこと覚えてないよ」
「遺伝子とかが覚えてるんだ。でないと人間から人間も生まれない」
「でも、人間の形状って変わってるよ。平均身長だって伸びてるし」
「人間の遺伝子なんだからいい加減なんだよ」
自分の言い分のほうがいい加減だと思ったけども透子はなぜか納得して、そっか、とつぶやいた。
海とか空とかそういう大きいものを眺めていると時間や空間が超越されて身体が鈍っていく気がした。水平線は彼方にあると知ってるけど、本当はすぐそこのような錯覚を感じて、手を伸ばして海と空の境目を撫でてみる。
横を見ると透子も遠くの水平線を見ていた。その顔があまりにも険しくて、触れそうだな、なんて話しかけることが出来なかった。
一昨日の約束を思い出した。
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