リンカーネ王国のモブは転生者しかいない

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「きゃっ!……ごめんなさい、大丈夫ですか?お怪我はありませんこと?」  我が麗しの主でこの王国の姫様がぶつかってきたと言うのに、言葉が出ず僅かに動かせた首を横に振ることで無事を伝えれば、姫様は安心したようで「申し訳ございませんが、(わたくし)急いでおりますので失礼致しますね」と眉を下げながらも微笑んで軽快に、そして優雅に廊下を駆けて行った。  私は唖然とその後ろ姿を見送るしかなかった。  何故なら今起きた事に自分の理解が追いついていないから。  ――どうして。どうして目の前に私の大好きなゲームの主人公がいるの?  私は混乱による一種の頭痛を覚え、その場で頭を押さえる。状況を整理したい。いや、整理しよう。  今不慮の事故でぶつかってきた主の名はソムニア姫。ソムニア・サンクトゥス・リンカーネ。このリンカーネ王国を支配する王族の末娘にして、王族でもごく一部の人にしか扱えない聖魔法を扱える1人。……いや、現段階ではまだのはずだ。それか、今朝その兆候が現れたから急いでいたのかもしれない。  しかし彼女は私の大好きなゲームの主人公のはずだ。「ディアマイドリーム」、通称ディアドリとファンの間で呼ばれているゲームの主人公のはずだ。リンカーネ王国が滅びる未来という予知夢を見て、その未来をどうにかして回避しようと断片的な夢を頼りに、恋もしながら国、いや、世界を救おうと奮闘する乙女ゲームの主人公のはずだ。因みに攻略対象は許嫁でもある隣国の王子・エドゥワルド、弟のような年下の執事のアル、幼少期から魔法を教えてくれていた先生のユーステス、騎士団長のベルナード、ツンデレ宰相のジャン・フォルブル、そして隠し攻略対象でもあるラスボスの魔王ミレニアである。だが今はそんなことどうでもいい。  先程も何回も言っているが、彼女らは大好きなゲームの登場人物。所謂二次元の住民だ。画面越しで見ていたはずなのに、しっかりと温もりを感じた。  一体どういうことだ?と更なる混乱に私は何を思ったのか、力の限り自分の頬を抓った。痛たたたたたっ!  自業自得による頬を摩りながら、痛みという刺激によって更なる記憶が蘇る。まるであれだ、電波を受信したような感じだ。わかるだろうか。とりあえず走馬灯のように、新たに流れてきた情報を簡単に整理する。  私の名は山田敦子(やまだあつこ)。IT系の中小企業に勤めていた三十路のOL。残業の帰り、無能な上司に対する鬱憤をどこで晴らそうか企てながら駅のホームで大人しく立っていたら、誰かに後ろから突き落とされてホームに入ってきた特急電車に轢かれたのだった。私の前世、呆気なさすぎる。 「これってもしかして……今流行りの異世界転生ってやつ……?」  前世の記憶を思い出した私は、当時ちらほら目にしていたネット小説を思い出し、心が少し踊り始めたのがわかった。異世界転生したのなら、大好きなあのキャラとあんなことやこんなことができて世界を救うヒーローになれる……!  だがここで思い出してみよう。私にぶつかってきたのはディアドリの主人公である麗しのソムニア姫。少なくとも主人公ではない。そして先程自分が発した声を振り返っては、ゲームの登場人物の誰にも当てはまらない。  ならば私は誰だ?  自分が一体何者だ?という哲学的な疑問が浮かぶも、現実を見ろと言わんばかりにたまたま廊下の壁に掛けられていた。なんと用意周到なことだろうか。私はとりあえずそちらへと一瞥した。  豪華に着飾れた平らなそれに映っていたのは、モップを持ったメイド。そう、メイド。  気になる特徴を上げるのであれば、目元が長い前髪で隠れている。所謂メカクレですありがとうございます。可愛げがあるかどうかと言えば、地味である。あまり、いや、まったくもって目立たなそう。  そして私はそこに映った自分に、とある言葉が脳裏に浮かんだ。  こんなやつ、ゲームで見たことない。  そう、一回も見ていないのだ。  ここまで来れば、誰でもわかるだろう。私も流石にわかった。  私はその事実を、誰に聞かれるかも気にせず盛大に叫んだ。 「モブかよっ!」  私の転生先は、背景同然のモブメイドでした。  いと悲しき。
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